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【1987年~】中日ドラゴンズの歴代監督の成績・順位一覧。立浪監督の後継者を予想してみた!

中日ドラゴンズ歴代監督

この記事で解決できる悩みや疑問

  • 中日ドラゴンズ歴代監督の成績を知りたい
  • 将来、中日ドラゴンズの監督になる候補者を知りたい

2022年から立浪監督が中日ドラゴンズの指揮を取っています

中日ドラゴンズの2011年を最後にリーグ優勝から遠ざかっています

今まではどのような成績だったのでしょうか

この記事では、過去の中日ドラゴンズの歴代監督成績と将来の監督予想を紹介します

この記事の内容

  • 中日ドラゴンズ歴代監督の成績一覧
  • 中日ドラゴンズ将来の監督予想

この記事を読むと、中日ドラゴンズの歴代監督の成績がわかります

では、解説していきます

中日ドラゴンズの歴代監督の成績一覧

中日の歴代監督と成績一覧です

監督成績順位
1987年星野仙一68勝51敗11分2位
1988年星野仙一79勝46敗5分優勝
1989年星野仙一68勝59敗3分3位
1990年星野仙一62勝68敗1分4位
1991年星野仙一71勝59敗1分2位
1992年高木守道60勝70敗0分6位
1993年高木守道73勝57敗2分2位
1994年高木守道69勝61敗0分2位
1995年髙木守道/徳武定之/島野育夫  50勝80敗0分5位
1996年星野仙一72勝58敗0分2位
1997年星野仙一59勝76敗1分6位
1998年星野仙一75勝60敗1分2位
1999年星野仙一81勝54敗0分優勝
2000年星野仙一70勝65敗0分2位
2001年星野仙一62勝74敗4分5位
2002年山田久志69勝66敗5分3位
2003年山田久志/佐々木恭介  73勝66敗1分2位
2004年落合博満79勝56敗3分優勝
2005年落合博満79勝66敗1分2位
2006年落合博満87勝54敗5分優勝
2007年落合博満78勝64敗2分2位・日本一
2008年落合博満71勝68敗5分3位
2009年落合博満81勝62敗1分2位
2010年落合博満79勝62敗3分優勝
2011年落合博満75勝59敗10分優勝
2012年高木守道75勝53敗16分2位
2013年高木守道64勝77敗3分4位
2014年谷繁元信67勝73敗4分4位
2015年谷繁元信62勝77敗4分5位
2016年谷繁元信/森繁和  58勝82敗3分6位
2017年森繁和59勝79敗5分5位
2018年森繁和63勝78敗2分5位
2019年与田剛68勝73敗2分5位
2020年与田剛60勝55敗5分3位
2021年与田剛55勝71敗17分5位
2022年立浪和義66勝75敗2分6位
2023年立浪和義56勝82敗5分6位
2024年立浪和義現在 

中日は今まで9回リーグ優勝をしています

最後に優勝したのは2011年です

日本一になったのは1954年、2007年の2回だけですね

それぞれの監督が、どのような監督だったのかを見ていきましょう

1987年~1991年:星野仙一監督(第一次)

1987年、39歳で監督に就任した星野仙一監督

就任時の会見で「選手の皆さんに一言」と記者から言われた時のコメントは「覚悟しておけ」でした

球団の体質を変えるために、ほぼ巨人移籍で決定だった2年連続三冠王の落合博満を、1対4という大型トレードで獲得

この時の落合選手の年俸が1億3000万円で、プロ野球初の1億円プレーヤーとなりました

監督就任1年目は、選手層が薄く、首位の巨人に8ゲーム差をつけられて2位に終わります

しかし、2年目には、PL学園の逸材であった立浪和義選手を獲得したこともあり、1982年以来6年ぶりのリーグ優勝を果たしま

シーズンのサヨナラ勝ちは11回あり、最後まで勝負にこだわる、非常に粘り強いチームを作り上げました

第一次星野政権は5年間続き、1991年に退任しています

1992年~1994年:髙木守道監督

1992年からは、2代目ミスタードラゴンズと言われている髙木守道さんが監督に就任しました

※初代ミスタードラゴンズは西沢道夫選手、3代目ミスタードラゴンズは立浪和義選手と言われています

髙木監督は現役時代、走攻守揃った球史最高の二塁手と評さていました

就任1年目の1992年は最下位となり、更にこの年のオフに長年中日を引っ張ってきた落合選手が巨人に移籍してしまいます

逆風がありながらも、1993年と1994年は優勝争いに絡みます

1994年には、中日ファンの間で今も語り継がれる「10.8決戦」が行われます

プロ野球史上初めて、最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士の直接対決となったのです

この試合、先発の今中選手がホームランを打たれ勝ち越された後も、髙木監督はピッチャーを変えず、それが仇となり、巨人に敗退し、2位でペナントレースを終えることになりました

あと一歩のところまでいきましたが、リーグ優勝をすることはできませんでした

1995年:髙木守道監督・徳武定之監督・島野育夫監督

1995年は序盤から投手陣の崩壊が目立ちます

6月に入ってからも順位の下降が止まらず、髙木監督は辞意を表明

自身が監督を務める最後の阪神戦、審判の判定に激高しプロ初の退場処分を受け、そのままグラウンドを去ることになりました

一度スイッチが入ると誰にも止められない性格のため「瞬間湯沸かし器」と揶揄されることも多かった髙木監督

まさにその性格を体現した最後でした

髙木監督の退任後は、徳武定祐コーチが代理監督を務めますが、成績不振により前半戦で辞任

球宴明けから二軍の島野育夫監督が一軍監督代行を務めましたが、結果5位に終わりました

1996年~2001年:星野仙一監督(第二次)

1996年、5年ぶりに星野監督がドラゴンズの監督に復帰します

この年は本拠地ナゴヤ球場最後の年でもありました

1997年には本拠地をナゴヤドームに移します

本拠地が広くなったのも影響してか、本塁打が前年のリーグ1位からリーグ4位へ激減

6月まではAクラス入りをしていたものの、8月以降大きく負け越し、5年ぶり最下位でシーズンを終えます

しかし、第二次政権の4年目の1999年には11年ぶり5度目のリーグ優勝を成し遂げます

星野監督は見事、第一次政権でも第二次政権でもリーグ優勝をしました

就任6年目となった2001年、4年ぶりにBクラスとなった責任を取る形で辞意を表明しました

2002年:山田久志監督

2002年に、前年まで投手コーチを務めていた山田久志コーチが監督に就任します

結果は、首位と10ゲーム以上離された、リーグ3位でシーズンを終えます

結果だけ見ると山田監督の成績はパッとしませんが、ファンの間では、山田監督がこの後に訪れる中日黄金期の礎を築いたと言われています

谷繁元信選手をFAで獲得し正捕手を強化、岩瀬仁紀選手につきっきりで指導し育て上げる、荒木選手井端選手を根気強く使い続ける、ポジションが固定されなかった福留孝介選手を外野にコンバートするなど、今後のチームの礎を築きました

2003年:山田久志監督・佐々木恭介監督

山田監督は就任2年目、連敗が続いた9月7日、スイングの判定を巡り猛抗議をします

審判の身体に接触してしまったことから退場処分となり、なんとその翌々日突然の解任となります

残りの試合は、ヘッド兼打撃コーチの佐々木恭コーチが監督代行を務めました

最終的に2位でシーズンを終えます

2004年~2011年:落合博満監督

2004年落合監督が中日ドラゴンズの監督に就任します

この年から中日ドラゴンズは黄金期に突入します

落合監督は、春季キャンプ初日に紅白戦を実施したり、通常4勤1休のところをシーズンを見据えて6勤1休としたりと、様々な改革を行いました

落合監督の代名詞といえば「無表情」

1年目は喜怒哀楽を見せていたこともありましたが、「選手が監督の顔色を伺うようになり、普段通りのプレーができなくなる」と考え、意識して無表情を貫いていました

オレ流と呼ばれたチーム運営は、時には批判を浴びることもありました

批判を浴びながらも自分の采配を貫けたのは、選手を毎日細かく観察し、微妙な変化にも気づくことが出来る洞察力があったからでしょう

落合監督の在任期間はすべての年でAクラス入り

8年間で4度のリーグ優勝と2007年はリーグ2位からの球団53年ぶりの日本一など、多大な功績を残しました

落合監督政権のことを詳しく描いた書籍について、こちらでも詳しく解説しています

【野球ノンフィクションNO.1】嫌われた監督落合博満は中日をどう変えたのかをレビューします

続きを見る

2012年~2013年:髙木守道監督

70歳にして中日の監督に復帰した髙木監督は、自らを「暴走老人」と襲名

試合後のインタビューでミスをした選手を名指しで批判したり、現役時代に同僚だった投手コーチと言い合いになったりもしました

それでも就任1年目の2012年、チーム防御率はリーグ2位、セーブ・ホールドはリーグ1位で、リーグ2位の結果を残します

また、2013年は谷繁選手が2000本安打を達成、岩瀬選手が9年連続30セーブなどベテランが偉大な記録を達成してます

ただ、最終順位は4位となり、11年連続Aクラス入りの黄金時代もこの年で止まってしまいました

シーズン最終戦の3日後、髙木監督は辞任しました

2014年~2015年:谷繁元信監督

2014年、選手権監督として谷繁政権がスタートします

8月に入ってから月間20敗という大失速(月間20敗はセ・リーグワースト記録)をし、4位でシーズンを終えます

2年目もAクラス入りはできず、5位でシーズンを終えました

2016年:谷繁元信監督・森繁和監督

2016年谷繁監督は選手を引退し、監督専任となります

この年は田島慎二選手が開幕27試合連続登板無失点のプロ野球新記録を達成します

5月が終わった時には2位でしたが、球宴後から失速してしまい、8月には谷繁監督の休養が発表されます

森繁和ヘッドコーチが監督代行となって指揮を取りましたが、19年ぶりの最下位となってしまいました

2017〜2018年:森繁和監督

森監督は「原点回帰 ~ゼロからのスタート~」をスローガンに、守り勝つ野球を目指しました

しかし、なかなか上位に浮上するきっかけを掴むことができず、2年連続5位となり、森監督は退任となりました

2019〜2021年:与田剛監督

与田監督といえば、2019年3球団競合の末、東邦高校の石川昂弥を引き当てた強運です

2019年は5位という結果でしたが、2020年には久しぶりのAクラス入りを果たします(3位)

このシーズン、チームの中でも良かったのが祖父江大輔選手、福敬登選手、ライデル・マルティネス選手といったリリーフ陣です

与田監督は退任挨拶の際「打線を私の力で立て直すことが出来なかった」と言いましたが、投手陣を立て直したのは、与田監督の大きな功績でした

2022年~:立浪和義監督

PL学園高校を卒業後、ドラフト1位で入団し、22年間中日ドラゴンズ一筋

三代目ミスタードラゴンズと呼ばれる、立浪さんが2022年ついに監督に就任しました

就任会見では「私に与えられた使命はチームを強くする、そして一人でも多くのファンの方に球場へ足を運んでもらえるような、魅力あるチームを作っていくこと(以下略)」と語っていました

京田陽太選手や阿部寿樹選手をトレード、根尾昂選手の投手転向など、改革は行っていますが、就任から2年連続最下位に終わっています

契約最終年となる2024年にどのような結果を残すのか、立浪監督の今後の動きに注目です

中日ドラゴンズ将来の監督予想

ここまで歴代の中日監督を見てきましたが、将来中日の監督になるであろう選手3人を勝手に選びました

きっと、誰もが納得できる3人なのではないでしょうか

1人目:和田一浩選手

現役時代は319本の本塁打を記録した和田選手

首位打者や最優秀選手に選ばれたこともあり、実績も充分です

現役ドラフトで加入した細川成也選手をコーチとしてブレイクさせたのは和田コーチでした

選手に寄り添い、その選手にあった指導方法には定評があります

選手に慕われる監督になる想像がつき、次の監督の最有力候補だと思います

2人目:山本昌選手

1984年にドラフト5位で中日ドラゴンズに入団し、50歳までマウンドに立ち続けた球界のレジェンドです

現役時代にバッテリーを組んだ矢野燿大選手の勧めで、阪神タイガースのキャンプで臨時投手コーチを務めたことがあります

プロ野球選手の指導はこの時が初めてでした

キャッチボールから連携プレー、ブルペンでも目を光らせて個々の選手に熱心に指導する姿勢が球界で評価されています

中日ファンからの人気もあり、間違いなく将来の監督候補の1人でしょう

3人目:井端弘和選手

中日の黄金期を支えた井端選手、ベストナイン5回、ゴールデングラブ7回と実績は充分です

2019年からは野球解説者として、また自身のYouTubeチャンネルでもわかりやすい解説が人気です

日本代表や巨人のコーチを歴任し、2023年からは日本代表監督を栗山英樹監督から引き継いでいます

日本代表で結果をだし、是非、中日の監督に就任してほしいですね

まとめ

今回の記事では、中日ドラゴンズの歴代監督の成績を紹介を紹介しました

最後にポイントをまとめます

ポイント

  • 中日が日本一になったのは1954年、2007年の2回
  • 落合監督は8年間の在籍期間、すべての年でAクラス入り、4度のリーグ優勝と球団53年ぶりの日本一を達成
  • 中日は2011年を最後にリーグ優勝から遠ざかっている

今年の中日の結果が楽しみですね!

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  • この記事を書いた人

ほくと

小学生から野球を始め、野球歴30年、阪神タイガースファン歴も30年。大学時代は4年間バッティングセンター勤務。草野球チーム運営歴は20年になります。野球はやるのも観るのも大好き。野球を「やる人」も「観る人」も、今よりもっと野球を楽しめるようになる情報を発信していきます。野球グッツのレビュー依頼や質問は、お気軽にお問い合わせフォームまでどうぞ。詳しいプロフィールはこちら