この記事で解決できる悩みや疑問
- プロ野球でダブルヘッダーはなぜ行われないの?
- 今後、ダブルヘッダーが行われる可能性はあるの?
先日、草野球でダブルヘッダーをやり、ヘトヘトの状態になりました
その際、ふと思ったのですが、プロ野球ではなぜダブルヘッダーが行われないのでしょうか
そこで、この記事では、プロ野球でダブルヘッダーが行われていない理由を解説していきます!
この記事の内容
- ダブルヘッダーを行う理由
- なぜ、ダブルヘッダーはなくなった?
- ダブルヘッダー名勝負3選
この記事を読むと、なぜ、プロ野球でダブルヘッダーが行われていないのかがわかります!
では、解説していきます
ダブルヘッダーを行う理由
まず、ダブルヘッダーについて説明します
ダブルヘッダーとは、1日に2試合野球を行うことです
同じチームと2試合やることを「ダブルヘッダー」、相手チームが変わる場合を「変速ダブルヘッダー」と呼びます
ダブルヘッダーの語源はアメリカにあります
昔、アメリカで重たい貨物を、2つの蒸気機関車で引っ張り運んでいました
いつしか、それが野球の用語として使われるようになり、1日に2つの試合を行うことをダブルヘッダーと呼ぶようになりました
ダブルヘッダーを行う目的は、予定試合数を消化するためです
年間で消化する試合数は決まっていますが、雨などで試合を行えないことがあります
その際、ダブルヘッダーを行うことで、年間の予定試合数を消化してきたのです
1960年代のプロ野球では、1カード3連戦の原則がありました
そのため、火水木を試合、金を移動で土日を試合(日曜がダブルヘッダー)、月が休みという日程が多かったのです
メジャーリーグでは、今もダブルヘッダーが多く行われています
その理由は、メジャーリーグに屋根付きの球場が少ないことが考えられます
年間162試合の、過密日程が組まれていることに加え、屋根付きの球場がほぼないため
雨天中止となった場合、昼夜のダブルヘッダーで試合数をカバーをしています
なぜ、ダブルヘッダーはなくなった?
日本のプロ野球では1998年を最後に、ダブルヘッダーは行われていません
理由は3つあると言われています
- 選手の健康を考慮した
- ドーム球場が増えた
- 交通網が発展した
それぞれ、みていきましょう
1.選手の健康を考慮した
選手にとって、ダブルヘッダーはとても負担が大きいです
ダブルヘッダーをやっていた1960年代、負担の大きさから、選手の健康被害が多くでました
そこで、1966年、パリーグ独自の規定が設けられました
- 移動日なしの即日移動で、連戦の場合、ダブルヘッダーはしない
- ダブルヘッダーの2試合目が日没で、試合継続困難の場合、再試合にはせず、完了しているイニングで、コールドゲームとする
1980年代になると、日程自体にゆとりをもつようになっていきました
その結果、ダブルヘッダーを組むこと自体が少なくなっていきました
2.ドーム球場が増えた
日程にゆとりをもった、1980年代以降も、雨天中止の場合、ダブルヘッダーは行われていました
その状況が改善したのが、ドーム球場の誕生です
1988年に日本で最初のドーム球場として、東京ドームが誕生しました
その後、1993年に福岡ドーム、1997年に大阪ドーム、ナゴヤドームと次々とドーム球場が作られました
ドーム球場ができてからは、雨天時でも試合をすることができるようになり
1988年を最後に日本のプロ野球でダブルヘッダーは行われていません
3.交通網が発展した
1960年代、球場間の移動は飛行機ではなく、鉄道がメインでした
そのため、移動した日の夜に試合は現実的ではなく、翌日にダブルヘッダーが多くなったのです
特に、広島や福岡への移動が、飛行機ではなく夜行列車だったため、今より大幅に時間がかかりました
交通網の発展によって、選手は短時間で各都市を移動できるようになりました
その結果、試合日程を組みやすくなり、ダブルヘッダーが減ったと考えられています
1998年以降、ダブルヘッダーは開催されていませんが、何度か検討されたことがあります
年度 | 検討理由 | 実施有無 |
---|---|---|
2007 | 山口県での実施をダブルヘッダーに | 実施せず |
2014 | 日程消化の遅れ | 実施せず |
2016 | 雨天中止の代替 | 実施せず |
2018 | 日程消化の遅れ | 実施せず |
2022 | 新型コロナウイルスによる日程消化の遅れ | 実施せず |
どれも、実施寸前までいきましたが、ダブルヘッダー自体が雨で流れるなど、まだ実施には至っていません
ダブルヘッダー名勝負3選
ダブルヘッダーでは、過去に名勝負がいくつも生まれています
名勝負のうち、3選を厳選して紹介します
1.1953年8月9日 東急対近鉄
1試合目が延長20回に及ぶ大熱戦で、近鉄が5対4で勝ちました
ダブルヘッダーなので、もちろん第2試合もその直後に行われます
2試合目も接戦となり、今度は東急が4対3で勝ちました
試合終了が午後11時49分と、ダブルヘッダーならではの記録になりました
2.1988年10月12日 西武対近鉄
西武が連勝すれば、優勝が決まる大一番
西武4点リードで迎えた4回、近鉄ブライアント選手が46号ソロホームランを打ちます
なんと、その後6回には満塁ホームラン、8回には48号ホームランと、この試合だけで3本塁打を放つと
続く、第2試合でも49号ホームランを打ち、ブライアント選手は1日に4連続本塁打の記録を打ち立てました
3.1988年10月19日 ロッテ対近鉄
ダブルヘッダーで最も有名な試合といえば、これでしょう
近鉄が連勝なら優勝が決まるダブルヘッダーです
1試合目、「9回で同点なら引き分け」という当時の規定がある中で、3対3の同点のまま9回2アウトと、近鉄は追い込まれます
ここで代打の梨田が起死回生の勝ち越し打を放ち、なんとか2試合目に突入します
2試合目は当時「4時間を超えて新たなイニングに入らない」という規定がある中で、9回も同点でイニングが終わります
延長10回、近鉄の攻撃が終わった段階で残り3分となり、3分後に近鉄の攻撃の機会はなくなり、優勝の可能性がなくなりました
まとめ
今回の記事では、プロ野球でダブルヘッダーが行われていない理由を解説しました
最後にポイントをまとめます
ポイント
- 昔、アメリカで重たい貨物を、2つの蒸気機関車で引っ張っていたのがダブルヘッダーの語源
- ダブルヘッダーは年間予定試合を消化するために行われる
- 日本は「選手の健康面」「ドーム球場」「交通網の発達」によって1988年以降は実施されていない
次にダブルヘッダーが行われる日を楽しみにして、プロ野球を楽しみましょう!
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