この記事で解決できる悩みや疑問
- 原口文仁選手の経歴を知りたい
- 原口文仁選手の成績を知りたい
- 原口文仁選手の病気について知りたい
阪神タイガースの右の代打の切り札として活躍している原口文仁選手
順調に力をつけ一軍レギュラーでの活躍が期待された原口選手に病魔が襲いかかります
今では病気を克服し、1軍で活躍している原口選手
この記事では原口文仁選手について詳しく解説していきます
この記事の内容
- 原口文仁選手の通算成績
- 原口文仁選手の経歴
- 原口文仁選手の病気
- 原口文仁選手の現在の様子
この記事を読むと、原口文仁選手の通算成績、経歴、過去にかかった病気についてわかります!
では、解説していきます
原口文仁選手の通算成績
原口選手は、現在阪神タイガースに在籍し、右の代打の切り札としてチームの勝利に貢献しています
入団からの成績がこちらです
年度 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 |
---|---|---|---|---|
2010~2015 | 1軍出場なし | 1軍出場なし | 1軍出場なし | 1軍出場なし |
2016 | 107 | .299 | 11 | 46 |
2017 | 73 | .226 | 6 | 25 |
2018 | 82 | .315 | 2 | 19 |
2019 | 43 | .276 | 1 | 11 |
2020 | 48 | .278 | 3 | 19 |
2021 | 56 | .204 | 0 | 3 |
2022 | 33 | .324 | 2 | 10 |
2023 | 54 | .192 | 2 | 8 |
原口選手は、阪神に入団してから2軍生活が長く、2016年から1軍に定着し始めました
打撃タイトルこそ取っていませんが、ここぞという時の勝負強いバッティングで、チームに欠かせない選手になっています
原口文仁選手の経歴
原口選手の経歴を紹介します
幼少期〜高校時代
1992年に埼玉県に誕生した原口選手
当時、巨人の正捕手だった阿部慎之助選手に憧れて小学校4年生から捕手で野球をはじめました
高校は東京の名門校である帝京高校に進学し、2009年の高校3年時の夏には東東京代表として夏の甲子園大会に出場
帝京高校の1年先輩には杉谷拳士選手、2学年先輩には中村晃選手、1学年後輩には山﨑康晃選手、2学年後輩には松本剛選手がいました
さすが、帝京高校、毎年プロ野球選手を輩出しているんですね
投手の持ち味を引き出せるリードが評価され、日米親善高校野球大会の代表にも選出
高卒ドラフト6位で阪神タイガースに指名され、原口選手のプロ野球人生がスタートしました
プロ1年目〜2018年まで
プロに入団し、2軍戦に出場するもなかなか結果の出ない日々を過ごしました
3年目の2012年には椎間板性の腰痛で戦線を離脱、シーズンオフには育成選手契約に移行します
育成契約については、こちらの記事で詳しく解説しています
-
【育成契約はずるい】プロ野球の育成選手とは?育成から給料や這い上がって活躍した選手も紹介!
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2013年には左手尺骨を骨折、2014年には右肩の関節を痛め、もどかしい日々を送ります
転機となったのは2015年、新たに阪神タイガースの監督に金本知憲さんが就任したことです
原口選手の素質を見出した金本監督は、2015年の秋季キャンプで原口文仁選手を一軍に抜擢
金本監督のつきっきりの打撃指導を受け、2016年には3年ぶりの支配下登録選手となり、プロ入り後初の一軍戦デビューを飾りました
結果、規定打席には到達しませんでしたが、.299/11本/46打点を記録し、一軍で通用することを証明しました
2017年からは再び成績が低迷しスタメンでの出場が激減します
しかし、2017年は痛めた右肩の影響や、ライバル捕手の梅野選手/坂本選手の台頭もあり、捕手ではなくファーストや代打の切り札として活躍の場を広げていきました
2018年は原口選手にとって、野球人生が輝き始めた年でした
代打での出場が増えるものの、いつでも準備を怠らない姿勢と勝負の場面に強いバッティングでチームに貢献
通算57試合の代打出場で打率.404を記録し、本塁打2本を含むシーズン代打23安打という記録を残しました
これは、日本球界歴代3位の偉業です
しかし、チームの戦力として活躍をし始めていた原口選手にある病魔の影が迫っていました
闘病生活
2019年1月24日に原口選手は自身が大腸がんを患っていることを公表しました
原口選手のコメント
いつも応援ありがとうございます。
皆様にご報告があります。
プロ10年目を迎えるにあたり、昨年末、人間ドックを受診したところガンと診断されました。
病名を聞いた時はさすがに驚き、動揺したのも事実です。
しかし今は、プロ野球選手という立場でこのような病気になった事を自分の使命だとも思えます。
同じガン患者の方々、またそのご家族の方々にとって少しでも夢や希望となれるよう精いっぱい、治療に励みたいと思っています。
今後の予定としては、近日中に手術を受け、そのあとリハビリに励んで早期の実戦復帰を目指します。
僕には、大切な家族や応援してくださるファンの方々、共に闘う仲間がいます。
常に前だけを向いて進んでいきます。
どうか、これからも応援の程宜しくお願い申し上げます
2019年1〜3月は手術、リハビリ、検査と治療に専念します
同年6月シーズン初の出場選手登録を果たすと、9回1アウト3塁の場面代打で登場し、レフトフェンスを直撃するタイムリー二塁打を打ち、奇跡の復活を果たします
オールスターゲームにもプラスワン投票で選出され、野球人・原口選手の闘病からの復活は球界全体で祝福されました
その後も阪神の貴重な代打の切り札として、活躍をしてくれています
原口文仁選手の病気
原口選手のかかっていた病気の詳細を解説します
原口選手がかかっていた病気は「大腸がん」でした
大腸がんの罹患率は年々上昇しており、女性の死亡リスクの高いがんランキング1位になるなど、非常に怖い病気です
26歳という、まさにこれからという時期に見つかりました
大腸がんのきっかけは、2017年からの体の異常でした
原口選手はどれだけ睡眠を取っても体から眠気や疲れが取れないことを疑問に思い、人間ドック受診を希望
2018年オフに人間ドックを受診すると、医師からがん宣告を受けました
その後、手術によって大腸を13cm切除し、術後の副作用と闘いながら懸命なリハビリを続け、2019年に実戦復帰します
2019年に復帰後も、半年に一回の検診で大腸がんの再発がないか確認し、試合後に抗がん剤治療をすることも少なくありませんでした
闘病から5年が経過した2024年1月、原口選手は自身のSNSで大腸がんの「完治」を報告し、真の復活を遂げています
今朝、最後の診察を終え、2019年1月に手術を受けた大腸がんが「完治」を迎えたと告げられました。
— 原口文仁 (@fumihit94) January 23, 2024
皆様からの温かいご声援と、関係者の方々の支えのおかげで歩むことができた5年間です。本当にありがとうございました。
家族と過ごせる、野球ができる毎日に感謝をしながら、今年も全力でプレーします!
体の違和感をそのままにせず、きちんと人間ドックに行ったからこそ、完治ができたのですね
「代打原口」のコールがアナウンスされると甲子園だけでなく、各球場で大歓声が起こります
「原口なら何かやってくれる」「病気を克服した原口選手に活躍してほしい」
そんな期待に応える原口選手は持ち前の明るいキャラクターも相まって、敵味方関係なく愛されています
また、原口選手は日本中のがんに悩む人を応援する活動もしています
「病気を克服して乗り越えて頑張っている、タイガースのユニフォームを着ているってすごく大きと思うんです。」と語る原口選手
自身の活躍する姿を見て、病気の人が明日も頑張る勇気を持ってもらうために頑張っています
まとめ
今回の記事では、原口文仁選手について解説しました
最後にポイントをまとめます
ポイント
- 原口選手は育成契約になりながらもひたむきに努力を重ね、阪神タイガースの主力選手になった
- 大腸がんを患ったが、懸命なリハビリと抗がん剤治療を続け、闘病から5年後の2024年に完治した
- 現在、試合に出るだけで球場の雰囲気を変える選手として、阪神タイガースだけでなく全球団のファンから愛されている
原口選手の今後の活躍に目が離せません
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