この記事で解決できる悩みや疑問
- 岩瀬仁紀選手の経歴を知りたい
- 岩瀬仁紀選手はなぜ最強左腕なのか
- 岩瀬仁紀選手のプライベートとは
本日紹介するのは、日本を代表する剛腕左腕、岩瀬仁紀選手です
岩瀬選手は落合監督時代の中日ドラゴンズを支えた名投手です
岩瀬選手は日本プロ野球界にどのような功績をもたらしたのでしょうか?
この記事では、そんな岩瀬仁紀選手について詳しく解説していきます
この記事の内容
- 岩瀬仁紀選手の通算成績
- 岩瀬仁紀選手の経歴
- 岩瀬仁紀選手の最強エピソード
- 岩瀬仁紀選手のプライベート
この記事を読むと、岩瀬仁紀選手の経歴や何が凄いのかがわかります!
では、解説していきます
岩瀬仁紀選手の通算成績
まずは、岩瀬仁紀選手の通算成績についてです
こちらが主な獲得タイトルです
主なタイトル
- 最多セーブ 通算5回受賞(最多タイ記録)
(2005年,2006年,2009年,2010年,2012年) - 最優秀中継ぎ投手 通算3回受賞(最多タイ記録)
(1999年,2000年,2003年) - カムバック賞
(2017年)
1999年に新人ながら最優秀中継ぎ投手を受賞し、その後2年連続で受賞します
歴代最優秀中継ぎ投手はこちらの記事で紹介しています
-
【最優秀中継ぎ決め方】ホールドとHPの違いをわかりやすく解説。歴代最優秀中継ぎ投手も紹介!
続きを見る
その後、ルーキーイヤーから15年連続50試合以上の登板、9年連続30セーブ以上の安定した成績をキープ
前人未到の1002試合登板という金字塔は、今後簡単には破られることはないでしょう
通算で最多セーブ(最優秀救援投手)を5回、最優秀中継ぎ投手を3回受賞
ともに日本プロ野球最多タイの大記録です
誰もが認める、球界の大投手ですね
岩瀬仁紀選手の経歴
日本プロ野球界を代表する名投手となった岩瀬選手ですが、不思議なことに元々の評判は高い選手ではありませんでした
幼少期〜社会人
1974年11月、愛知県西尾市に誕生した岩瀬仁紀選手
小学校2年生で野球を始めると中学生で投手としての才能が開花し、中学生ながら完全試合を達成しました
運動能力が異常に高く、中学時代には急造サッカーチームで市の大会に出場し、FWとして優勝経験もあります
ただ、高校は野球スカウトはなく地元の公立校に進学しました
高校時代は4番でエースとして活躍し、卒業後は愛知大学へ進学します
大学時代は野手に転向、所属リーグで.323、9本塁打、64打点の記録を残し、安打数はリーグ2位の記録も持っています
大学卒業時、プロから声はかからず、NTT東海に入社し再び投手に専念しました
NTT東海では1年目の冬に徹底的な基礎体力づくりを行い、2年目から活躍します
また、森昌彦コーチに投げ方を教わり、後の岩瀬仁紀選手の人生を大きく変える「スライダー」を習得したのもこの時期でした
プロ1年目〜全盛期
NTT東海での活躍が認められ、1998年にドラフト2位で中日ドラゴンズに入団、中継ぎ投手としてプロ野球人生をスタートします
ルーキーながら65試合に登板するとチームのリーグ優勝に貢献し、最優秀中継ぎ賞も受賞します
その後、一軍の中継ぎ投手に定着すると、2001年オフに球団史上最速の年俸1億円を突破し、2003年に年俸2億円に到達します
これは球団史上最速であり、中継ぎ投手としては日本プロ野球界初の偉業でした
2004年に落合さんが監督に就任するとクローザーに転向し、中日の絶対的守護神としてマウンドに君臨しました
精密なコントロールに加えてシュートとスライダーの2種類を決め球に持ち、次々とセーブ数を重ねていきます
スライダーは超一級品で、「死神の鎌」と呼ばれました
中日・岩瀬仁紀、真横に滑る高速スライダー pic.twitter.com/KevjvJm7jy
— のもとけ (@gnomotoke) October 2, 2018
8回を浅尾拓也選手、9回に岩瀬仁紀選手という黄金リレーに、他球団のファンは絶望しかありませんでした
また、有名なエピソードとして、2007年の日本シリーズがあります
2007年、落合政権で全盛期を迎えた中日ドラゴンズは、日本シリーズで北海道日本ハムファイターズと対戦
先発・山井大介選手が8回までを完全試合で抑えると、日本シリーズでの完全試合への期待が高まります
しかし、落合監督は、9回に岩瀬選手をマウンドに送ります
後に落合監督は「確率の高いほうを選択しただけ」と語っています
完全試合達成目前の山井投手より、岩瀬投手の方が抑える確率が高いと判断したということですね
いかに岩瀬投手が落合監督から信頼されていたかを示すエピソードです
伝説といわれる「継投での完全試合」でチームは日本一に輝き、岩瀬仁紀選手は胴上げ投手になりました
その後も、岩瀬仁紀選手の左腕は衰えることを知らず、順調にキャリアを積み重ねていきます
プロ晩年時代
2014年から岩瀬選手は、成績に翳りが見え始めえます
左肘の故障に悩み、1年間でセーブを上げられないことや防御率が6点台になることもありました
そして、投手兼任コーチとして挑んだ2018年に、中日ドラゴンズの黄金期支えた盟友・荒木雅博とともに現役引退を決意します
岩瀬選手は全国のファンに祝福されながらユニフォームを脱ぎました
岩瀬仁紀選手の最強エピソード
数々の大記録を達成してきた岩瀬選手には、その凄さを裏付ける最強エピソードがいくつかあります
1.死神の鎌「スライダー」
岩瀬選手の代名詞といえば、横に大きく変化する「スライダー」です
右打者の足元に沈み、左打者から逃げていく軌道は多くの名だたる選手たちを打ち取ってきました
当時、キャッチャーをしていた中村武志捕手が、練習でスライダーを捕球した際、思った以上に曲がったため、1球で突き指をしたというのは有名なエピソードです
岩瀬投手のスライダーは曲がり幅が大きいというだけでなく、曲がるタイミングが遅いという特徴があります
曲がり幅が大きくても、曲がるタイミングが早ければ、打者は対応できますが、岩瀬投手のスライダーは、打者のかなり近いところまではストレートの軌道で、急に大きく曲がるそうです
そのため、キャッチャーはボールを追いかけると捕球が難しく、あらかじめ、曲がる先にミットを構えにいくことが必要になります
当時中日に移籍したての谷繁元信選手も岩瀬仁紀選手のスライダーをみて、ヒットを打たれる未来が見えなかったと言っています
そんなスライダーを武器にして、岩瀬投手は数々の記録を打ち立てたのですね
2.試合に出続ける「強靭な肉体」
岩瀬投手は通算登板数1002試合、通算セーブ数407という日本記録を樹立しています
大卒からプロになった選手にも関わらず、両方とも2位の選手と大きな差をつけての1位です
通算セーブ数ランキング
順位 | 名前 | セーブ数 |
---|---|---|
1 | 岩瀬 仁紀 | 407 |
2 | 高津 臣吾 | 286 |
3 | 佐々木 主浩 | 252 |
4 | 藤川 球児 | 243 |
5 | サファテ | 234 |
6 | 小林 雅英 | 228 |
7 | 平野 佳寿 | 220 |
8 | 山﨑 康晃 | 216 |
9 | 松井 裕樹 | 202 |
10 | 江夏 豊 | 193 |
通算登板数1000試合というのは、50試合登板を20年続けてようやく成し遂げられる記録です
これらの記録を打ち立てられたのは、怪我をしない強靭な肉体があってこそです
岩瀬投手は2005年から魚、野菜中心の食生活にし、2010年からは禁煙をしています
また、お酒は全く飲まず(飲めない)、体重の変化に非常に気を付けていたといいます
当時、中日の投手チーフコーチの山田久志さんが「岩瀬は二日酔いの心配がないので、連投できるからリリーフに起用した」というエピソードもあります
怪我なく、登板数を重ねられたのは、岩瀬投手の投球フォームにも理由があると言われています
岩瀬仁紀選手はのちに「投球は頭の後ろでもう投げ終わってる感覚」と語りました
腕や肘で投げることなく、体全体を使った投げ方をイメージしていたのでしょう
この投球フォームも、長らく現役を続けられた理由の一つと言われています
岩瀬仁紀選手のプライベート
最後に、岩瀬選手の知られざるプライベートな情報を紹介します
1.岩瀬選手の私服センス
岩瀬選手は私服センスが独特なことで知られています
私服は休日のお父さん感があり、大記録を達成した選手とは思えない姿です
中日ドラゴンズ岩瀬仁紀投手の私服、完全にキムワイプ pic.twitter.com/NqREyEaNwb
— のふお (@very_shuvy) June 27, 2017
超一流プロ野球選手ながらオーラが全くなく、同僚の川上憲伸選手からファンと勘違いされたこともあります
2.岩瀬選手の息子さん
岩瀬選手には法樹さんという息子がいます
法樹さんは、愛知の名門校である愛工大名電で活躍しました
第104回 全国高校野球選手権大会
— むっちゃん (@mucchan70) August 18, 2022
🏟阪神甲子園球場
🗓2022/8/18(木)
⚾️準々決勝
愛工大名電 vs 仙台育英
愛工大名電 リリーフ 岩瀬法樹投手⑩ 3年
📝元中日ドラゴンズ・岩瀬仁紀氏長男 pic.twitter.com/2Dl2h6BzMp
現在は父と同様に愛知大学に進学し、試合を締めくくる守護神として活躍しています
「毎試合を投げて短いイニングでも完璧に抑えられる投手が理想」と語る法樹さん
目標は父とプロ入りを目指しており、これからの活躍に大いに期待です
まとめ
今回の記事では、岩瀬仁紀選手について解説しました
最後にポイントをまとめます
ポイント
- 岩瀬選手は「死神の鎌」と呼ばれた大きく曲がるスライダーで中日ドラゴンズの守護神として活躍した
- 大学卒からプロ入りながら、通算登板数1002試合という大記録を成し遂げた
- 息子の岩瀬法樹さんは愛工大名電で活躍後、父と同じ愛知大学へ進学しプロ入りを目指している
岩瀬選手には、将来中日の指導者として球界に戻ってきて欲しいですね
プロ野球をお得に観るためにこちらの記事もどうぞ