
この記事で解決できる悩みや疑問
- 巨人の歴代監督の成績を知りたい
- 将来の巨人監督候補者を知りたい

巨人は2024年にリーグ優勝を果たしました
12球団の中でも最多の優勝と日本一の回数を記録しています
そこで、この記事では、過去の巨人の歴代監督成績と将来の監督予想を紹介します
この記事の内容
- 巨人歴代監督の成績一覧
- 巨人将来の監督予想
この記事を読むと、巨人の歴代監督の成績がわかります
では、解説していきます
巨人歴代監督の成績一覧
巨人の歴代監督と成績一覧です
年 | 監督 | 成績 | 順位 |
---|---|---|---|
1975年 | 長嶋茂雄 | 47勝76敗7分 | 6位 |
1976年 | 長嶋茂雄 | 76勝45敗9分 | 1位 |
1977年 | 長嶋茂雄 | 80勝46敗4分 | 1位 |
1978年 | 長嶋茂雄 | 65勝49 敗16分 | 2位 |
1979年 | 長嶋茂雄 | 58勝62 敗10分 | 5位 |
1980年 | 長嶋茂雄 | 61勝60敗9分 | 3位 |
1981年 | 藤田元司 | 73勝48敗9分 | 1位・日本一 |
1982年 | 藤田元司 | 66勝50 敗14分 | 2位 |
1983年 | 藤田元司 | 72勝50敗8分 | 1位 |
1984年 | 王貞治 | 67勝54 敗9分 | 3位 |
1985年 | 王貞治 | 61勝60 敗9分 | 3位 |
1986年 | 王貞治 | 75勝48 敗7分 | 2位 |
1987年 | 王貞治 | 76勝43 敗11分 | 1位 |
1988年 | 王貞治 | 68勝59 敗3分 | 2位 |
1989年 | 藤田元司 | 84勝44 敗2分 | 1位・日本一 |
1990年 | 藤田元司 | 88勝42 敗0分 | 1位 |
1991年 | 藤田元司 | 66勝64敗0分 | 4位 |
1992年 | 藤田元司 | 67勝63 敗0分 | 2位 |
1993年 | 長嶋茂雄 | 64勝66 敗1分 | 3位 |
1994年 | 長嶋茂雄 | 70勝60 敗0分 | 1位・日本一 |
1995年 | 長嶋茂雄 | 72勝58 敗1分 | 3位 |
1996年 | 長嶋茂雄 | 77勝53 敗0分 | 1位 |
1997年 | 長嶋茂雄 | 63勝72 敗0分 | 4位 |
1998年 | 長嶋茂雄 | 73勝62 敗0分 | 3位 |
1999年 | 長嶋茂雄 | 75勝60 敗0分 | 2位 |
2000年 | 長嶋茂雄 | 78勝57 敗0分 | 1位・日本一 |
2001年 | 長嶋茂雄 | 75勝63 敗2分 | 2位 |
2002年 | 原辰徳 | 86勝52 敗2分 | 1位・日本一 |
2003年 | 原辰徳 | 71勝66 敗3分 | 3位 |
2004年 | 堀内恒夫 | 71勝64 敗3分 | 3位 |
2005年 | 堀内恒夫 | 62勝80 敗4分 | 5位 |
2006年 | 原辰徳 | 65勝79 敗2分 | 4位 |
2007年 | 原辰徳 | 80勝63 敗1分 | 1位 |
2008年 | 原辰徳 | 84勝57 敗3分 | 1位 |
2009年 | 原辰徳 | 89勝46 敗9分 | 1位・日本一 |
2010年 | 原辰徳 | 79勝64 敗1分 | 3位 |
2011年 | 原辰徳 | 71勝62 敗11分 | 3位 |
2012年 | 原辰徳 | 86勝43 敗15分 | 1位・日本一 |
2013年 | 原辰徳 | 84勝53敗7分 | 1位 |
2014年 | 原辰徳 | 82勝61 敗1分 | 1位 |
2015年 | 原辰徳 | 75勝67 敗1分 | 2位 |
2016年 | 高橋由伸 | 71勝69 敗3分 | 2位 |
2017年 | 高橋由伸 | 72勝68 敗3分 | 4位 |
2018年 | 高橋由伸 | 67勝71 敗5分 | 3位 |
2019年 | 原辰徳 | 77勝64 敗2分 | 1位 |
2020年 | 原辰徳 | 67勝45 敗8分 | 1位 |
2021年 | 原辰徳 | 61勝62 敗20分 | 3位 |
2022年 | 原辰徳 | 68勝72敗3分 | 4位 |
2023年 | 原辰徳 | 71勝70敗2分 | 4位 |
2024年 | 阿部慎之助 | 77勝59敗7分 | 1位 |
2025年 | 阿部慎之助 | 現在 |
巨人は今まで39回のリーグ優勝、22回の日本シリーズ優勝を経験しています
1965年から1973年のリーグ9連覇が有名ですが、その後も5連覇を1回、3連覇を1回記録しています
そんな強豪巨人を、今までどんな監督が率いていたのでしょうか
それぞれの監督について見ていきましょう
1975年~1980年:長嶋茂雄監督(第一次)
1974年10月「私は今日ここに引退いたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です」という名台詞を残し引退した長嶋茂雄さん
現役に別れを告げた翌年の1975年、巨人の7代目の監督に就任しました
しかし、1975年は最下位という巨人にとって屈辱のシーズンとなりました
巨人が最下位になったのは、歴代でこの1年だけです
翌年、選手の入れ替えを積極的に行い、5月に14連勝、シーズン首位を独走
阪神の猛追に合いながらも最終戦で巨人が勝利、3年ぶりの優勝を果たします
翌年もリーグ優勝を果たしますが、1978年1979年は2位、5位に終わります
1980年、巨人は3位に終わると、長嶋茂雄監督は事実上の解任となりました
1981年~1983年:藤田元司監督(第一次)
国民的なスターの解任は、選手はもちろんファンにも動揺を与えました
ファンは親会社の読売新聞に対して不買運動を展開するなど、逆風が吹き荒れました
そんな中、長嶋監督の後任として就任したのは、藤田元司監督
就任後もファンの暴走はとまらず、藤田監督の自宅にカミソリや汚物が届くなど、嫌がらせが多々あったようです
前年、現役を発表した王貞治さんが助監督に就任し、藤田監督・牧野茂ヘッドコーチ・王助監督の「トロイカ体制」が作られました
トロイカ体制は新しい時代を迎える礎を作り、1981年、見事に8年ぶりに日本一を奪取しました
1981年に続き、1983年もリーグ優勝
日本一とはなりませんでしたが、3年の就任で2回のリーグ優勝を達成し功績を残しました
1983年11月に藤田監督は勇退となり、助監督を務めていた王貞治さんが新監督に就任することになりました
1984年~1988年:王貞治監督
1984年から5年間、指揮を採ったのは王貞治監督
前年、優勝したチームを引き継いだにも関わらず、就任後3年間は優勝争いに絡むことが出来ませんでした
王監督4年目の1987年、この年は、後楽園球場最後のシーズン
3番から7番までに3割打者を並べると、6月に首位に立ち、10月まで一度も首位を明け渡すことなく、優勝を果たしました
翌年は後半戦、中日に首位を奪われ2位となり、王政権は5年間で1度のリーグ優勝を果たしたのみとなりました
ただ、王監督の背番号1はこれまでの功績を讃えられ、現在でも巨人の永久欠番に指定されています
1989年~1992年:藤田元司監督(第二次)
王監督が解任されたことを受け、読売新聞名誉会長から懇願され、藤田監督が巨人の監督に復帰します
藤田監督は現役生活は短かったものの、慶応義塾大学出身で「球界の紳士」と呼ばれ、指導者としては非常に優れていました
チーム活性化のため、原辰徳選手を三塁から左翼へ、中畑清選手を一塁から三塁へコンバート
伸び悩んでいた斎藤雅樹選手には「お前は気が弱いんじゃない。気が優しいんだ。弱いと優しいは、全然違うんだ」と言い聞かせ、先発として独り立ちさせるなど、チームを作り上げてきました
就任1年目でチームはリーグ優勝、1981年以来8年ぶりの日本一を達成
翌年の1990年も勢いは止まらず、2位の広島に22ゲーム差をつけてリーグ優勝しています
91年は4位、92年は2位に終わり、藤田監督は退団となりました
1993年~2001年:長嶋茂雄監督(第二次)
1993年「もう一度恩返しする気持ち」と言って、長嶋監督が巨人の13代目監督に復帰します
13年ぶり監督の初仕事は1992年のドラフト
大注目選手だった星稜高校の松井秀喜選手を、4球団競合の末獲得
阪神に行きたいと言っていた松井選手も長嶋監督から直接電話をもらい、巨人に入団を決めました
長嶋監督第二次政権で伝説といえば、1994年の「10.8決戦」ではないでしょうか
勝率が同率、勝ったほうが優勝という中日との最終戦直接対決
長嶋監督は「国民的行事」と呼び、大変な盛り上がりを見せ、今でも語り継がれる名試合です
結果は巨人が勝利し、リーグ優勝
日本シリーズも4勝2敗で勝利し、長嶋監督就任後、初の日本一を達成しました
1996年は中盤まで首位広島と11.5ゲーム差の2位
しかし7月中旬から巨人の快進撃がはじまります
100試合目で首位に立ち、最大11.5ゲーム差をひっくり返して優勝する「メークドラマ」が完成
この言葉は新語・流行語大賞にも選ばれました
選手から監督までジャイアンツにこだわり続けた長嶋監督はミスタージャイアンツと呼ばれ、監督として率いた2期15シーズンで日本一2回、リーグ優勝5回の成績を残しました
2002年~2003年:原辰徳監督(第一次)
原辰徳さんは、1995年に引退した後、野球解説者などをしていましたが、1999年に巨人のコーチとして復帰
2000年には長嶋監督の元で一軍ヘッドコーチに昇格、2002年、勇退した長嶋監督の後任として、巨人の監督に就任しました
この年、大きな補強はありませんでしたが、前年まで最下位だった防御率が飛躍的によくなり、6月に首位阪神を抜いてそのまま独走、リーグ優勝を達成します
西武との日本シリーズもストレートの4連勝
原監督は就任一年目でリーグ優勝、日本一を達成しました
2002年のオフ、松井秀喜選手がニューヨーク・ヤンキースに移籍
翌年、松井選手の穴を埋めるため、ペタジーニ選手を補強しましたが、投手陣が振るわず3位でシーズンを終えました
シーズン終了後に原監督は辞任、V9時代のエースだった堀内恒夫さんが監督に就任することになります
2004年~2005年:堀内恒夫監督
堀内監督は、2003年の9月、オーナーから「監督をやってくれ」と要請があり、育ててもらった恩返しと引き受けます
「青天の霹靂。全く予想していなかったし、大変なことになったなと…」と心境を話した就任会見を、覚えている方もいるのではないでしょうか
2004年はペタジーニ選手やローズ選手など、大砲がズラリとならび、当時巨人の打線は「史上最強打線」と称されました
打線は259本塁打というNPB記録を作りましたが、投手陣が球団史上ワースト2位の防御率4.50となり、就任1年目はリーグ3位
2005年はMLBで活躍したダン・ミセリ投手を補強で獲得しましたが、開幕から打ち込まれ、開幕から1ヶ月も経たない4月19日に解雇
投手陣が前年に引き続き防御率4.80で、チームは5位となりました
契約を1年残していましたが『敗軍の将は兵を語らず』の言葉を残し、ユニフォームを脱ぎました
2006年~2015年:原辰徳監督(第二次)
堀内監督の後を受けて、第二次原政権がスタート
初年度は4位に終わったものの、谷佳知選手や日本ハムから移籍した小笠原道大選手の活躍があり、2007年は5年ぶりのリーグ優勝
更に2008年は、前年最多安打・打点王のアレックス・ラミレス選手や最多セーブ投手のマーククルーン選手を獲得
最大13ゲーム差をひっくり返し、セ・リーグ2連覇を達成します
入団2年目の坂本勇人選手をレギュラーで起用したのも2008年になります
迎えた2009年、開幕から首位を走り、最終的には12ゲーム差を付けてリーグ3連覇
日本シリーズでは日本ハムを4勝2敗で撃破し、7年ぶり日本一となりました
2012年~2014年もリーグ優勝を達成し、第二次政権の10年間ではリーグ優勝6度、日本一2度という輝かしい成績で幕を閉じました
2016年~2018年:高橋由伸監督
常に優勝を求められる巨人軍で原監督の後を継いだのは高橋由伸監督
3年間で一度も優勝はありませんでしたが、残したものがたくさんありました
一番の功績は岡本和真選手の大ブレイクです
岡本選手の4年目となる2018年には、不動の4番に定着させました
投手でいえば田口麗斗投手が2016年から2年連続2桁勝利、今村信貴投手も結果を残し始め、若手投手も経験を積んで投手陣も厚みが出てきました
不名誉な球団ワースト記録もいくつかありましたが、「若手の育成」という意味では、大きく成長した3年間でした
2019年~2023年:原辰徳監督(第三次)
高橋監督からバトンを受け継いだのは、三度目の就任となる原監督
今回は、6年の長期政権を予定していました
2019年と2020年はリーグ連覇を果たしましたが、以降は低迷
2022年と2023年に同一監督では球団初の2年連続4位とBクラスに沈みます
結果が伴わなかったため、契約途中でしたが、三次政権の5年目となる2023年で退任をしました
原監督はトータルで17シーズン、1291勝という巨人歴代監督の中で最多勝利記録を築き上げました
2024年~:阿部慎之助監督
2024年からは2軍監督・1軍ヘッドコーチを経て、阿部慎之助新監督が就任しています
秋季練習で阿部監督は「チームとして相手に考えさせる野球」をやっていきたいと話し、2024年のスローガンに「新風」を掲げ、春のキャンプでは「個」を磨いてきました
結果、見事に就任1年目でセ・リーグ優勝を果たしました!
これからも阿部監督率いる巨人から、目が離せません
巨人将来の監督予想
ここまで歴代の巨人監督を見てきましたが、将来巨人の監督になるであろう選手3人を勝手に選びました
きっと、誰もが納得できる3人なのではないでしょうか
1人目:桑田真澄選手
2024年から巨人2軍監督を務める桑田さん
選手として、通算173勝、最優秀防御率2回、最多奪三振1回など輝かしい成績はもちろん、桑田さんはファンから熱烈な支持があります
また、引退後の2009年には早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年コースに合格し、首席卒業
スポーツ科学に基づいた指導を取り入れ、これからの野球指導に一石を投じてくれそうです
阿部監督の次の最有力候補です
2人目:井端弘和選手
中日の黄金期を支えた井端選手、ベストナイン5回、ゴールデングラブ7回と実績は充分です
中日を退団した後、巨人の選手として活躍し、退団後は巨人のコーチを歴任しています
2019年からは野球解説者として、また自身のYouTubeチャンネルでもわかりやすい解説が人気です
2023年からは日本代表監督を栗山英樹監督から引き継いでいるので、日本代表で結果をだし、是非、NPBの監督に就任してほしいですね
3人目:松井秀喜選手
誰もが巨人の監督をやってほしいと望んでいるのは、松井秀喜選手ではないでしょうか
巨人やヤンキースで活躍し、現在ヤンキースGM特別補佐を務める松井さん
2024年の春季キャンプでは、阿部監督の要望に応える形で臨時コーチを務めました
巨人OBやファンからの求心力も高く、今後監督就任が期待される選手です
まとめ
今回の記事では、巨人の歴代監督の成績を紹介を紹介しました
最後にポイントをまとめます
ポイント
- 巨人は今まで38回のリーグ優勝、22回の日本シリーズ優勝を経験してる
- 1980年長嶋監督の解任で、ファンは親会社の読売新聞に対して不買運動を展開するなど、逆風が吹き荒れた
- 原監督はトータルで17シーズン、1291勝という巨人歴代監督の中で最多勝利記録を築き上げた
今年の巨人の結果が楽しみですね!
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