この記事で解決できる悩みや疑問
- 仁志敏久選手の経歴を知りたい
- 仁志敏久選手の成績を知りたい
- 仁志敏久選手の現在の様子を知りたい
プロ野球選手の中では小柄な体格ながらプロの第一線で活躍した仁志敏久選手
高校時代から注目を集め、大学、社会人と着実に力をつけ、即戦力選手として常勝軍団の読売ジャイアンツを支えました
高い運動能力だけでなく、深い思考力と人間力を持つ人格者でも知られる仁志選手はどのような半生を過ごしたのでしょうか
この記事では仁志敏久選手について詳しく解説していきます
この記事の内容
- 仁志敏久選手の通算成績
- 仁志敏久選手の経歴
- 仁志敏久選手の指導歴
- 仁志敏久選手の現在の様子
この記事を読むと、仁志敏久選手の通算成績、経歴、現在の様子までわかります!
では、解説していきます
仁志敏久選手の通算成績
仁志選手は通算14年間、プロ野球選手として活躍しました
主な獲得タイトル
- 新人王
(1996年) - ゴールデングラブ賞4回受賞
(二塁手として1999年〜2002年まで連続) - 日本シリーズ優秀選手賞1回受賞
(2000年)
打撃タイトルこそ取っていませんが、通算成績はプロ14年間で.268/154本塁打/541打点と素晴らしい成績を残しています
巨人のリードオフマンを長らく務め、パンチ力のある1番としてチームを牽引しました
二塁手の名手であり、4年連続ゴールデングラブ賞を受賞
日本シリーズ優秀選手賞やオールスターゲーム優秀選手賞を取るなど、ここぞというときに打ってくれる頼りになる選手でした
仁志敏久選手の経歴
仁志選手の経歴を紹介します
幼少期〜社会人
1971年に茨城県古河市に誕生した仁志選手
高校は茨城県の甲子園常連校である常総学院高校に進学し、1年生から3番打者でレギュラー選手として甲子園に出場
PL学園高校と対戦した一年夏の甲子園大会決勝では、後にプロで活躍する立浪和義選手、宮本慎也選手と対戦しています
その後、早稲田大学に進学した仁志敏久選手は2年生でレギュラーに定着し、4年生では主将としてチームを牽引
ベストナイン通算3回受賞、早慶戦初のサヨナラ満塁本塁打を打つなど活躍し、プロ注目の選手になりました
プロスカウトからの誘いもありましたが、オリンピックも視野に入れスカウトを断り、日本生命に入社します
日本生命でもスカウトからの評価を高めた仁志選手は、逆指名のドラフト2位で読売ジャイアンツに入団
幼少期から憧れた原辰徳選手の背番号8をつけ、仁志敏久選手のプロ野球人生が始まりました
プロ1年目〜全盛期
即戦力選手として読売ジャイアンツに入団した仁志敏久選手は、新人ながら開幕1番を掴み、いきなり猛打賞の活躍をします
5月中旬から1番三塁手のポジションを勝ち取り、長嶋茂雄監督のもとリーグ優勝に貢献しました
同年、仁志選手は打率.270、7本塁打、24打点、17盗塁で読売ジャイアンツでは原辰徳選手以来の新人王に輝いています
翌年1997年から二塁手に転向します
仁志選手は同期入団の清水隆之選手とともに、攻めの1、2番打者として安定した成績で打線を引っ張ります
優れた守備力に加えてパンチ力のある打撃にも定評があり、2000年には自身初となる20本塁打を放ちました
同年、読売ジャイアンツは日本シリーズを制し、仁志選手は日本シリーズ優秀選手賞を獲得しています
仁志選手は、171cmと小柄な体格ながらも、隆々とした筋肉を持っていることも注目を浴びていました
仁志敏久ってすごい筋肉してたんだなー。#ジャイアンツ #巨人 pic.twitter.com/LCME1GcRzN
— 魎魍魅魑 (@yomenaiyo) March 23, 2019
この筋肉があったからこそ、20本以上のホームランを打つパワーがあったのでしょうね
その後、2004年にキャリアハイとなる28本塁打を放ちますが、徐々に体の衰えを感じ始めました
プロ晩年期
2007年に自らトレードを志願して、横浜ベイスターズに移籍しました
移籍後1年目は開幕から28試合連続出塁など、横浜首位の原動力になります
後半失速したものの、.270/10本塁打/45打点の成績を残します
しかし、年齢による身体能力の低下を拭うことができず、2009年成績不振とチームの若手育成のためチームを退団
2010年に米国独立リーグに移籍するも怪我の影響もあり、引退を決意しました
仁志敏久選手の指導歴
ここからは、仁志選手の指導者としての経歴を振り返ります
プロ野球選手としての知識や経験に加え、高い思考力を持った仁志選手は指導者として日本野球の発展に貢献します
U12日本代表監督
2014年に仁志選手はU12小学生野球日本代表の監督に就任します
全国で少年野球の指導者や保護者に向けて座談会を開催するなど、野球選手としての能力向上だけでなく人間力も重要視する仁志選手
仁志選手ならではの「考える野球」の指導で、次世代を担う若い野球選手の育成に尽力しました
同年8月のU12アジア選手権では、決勝まで進みましたがチャイニーズ・タイペイに3-7で惜しくも敗れています
その後も、2015年WBCSプレミア12の日本代表内野守備・走塁コーチや2017年WBC日本代表内野守備・走塁コーチなどを歴任
代表チームの指導者として、キャリアを歩んでいます
横浜DeNAベイスターズ二軍監督
2021年には横浜DeNAベイスターズの二軍監督としてNPBに戻ってきました
完成された選手が多い一軍選手の指導よりも、自身の経験や考えを活かせる二軍選手の指導に魅力を感じ、引き受けたと語っています
3年間監督をやり遂げ、2023年で同チームの監督は退団します
実際に3年間の二軍監督をやってみると、思っていたのとは違うことも多々あったようで
「2軍監督は自分の中ではずっと不完全燃焼、中間管理職なんだよね」と語っています
2軍は絶対に勝たなきゃいけないわけではないため、悪く言うと、監督がやることはあまりないと感じたそうです
仁志敏久選手の現在の様子
仁志選手は2014年に筑波大学大学院へ進学をします
専攻は体育学で、指導者として、心理学的なことや法律的なことなど、知っておくべきことを学術面から学ぶためです
2016年に無事、筑波大学大学院を修了すると、2018年には江戸川大学にて特別講師として講義を行います
その講義が縁で、2020年には江戸川大学社会学部経営社会学科の客員教授に就任
学生に向けて「スポーツ指導者論」を教えています
コーチや監督としての実践と、大学での理論を併せ持った仁志選手が、今後どのような指導者になっていくか楽しみですね
まとめ
今回の記事では、仁志敏久選手について解説しました
最後にポイントをまとめます
ポイント
- 仁志選手は巨人で、原辰徳選手以来の新人王を獲得
- 指導者として、U12小学生野球日本代表の監督や横浜DeNAベイスターズ二軍監督を歴任
- 2020年に江戸川大学社会学部経営社会学科の客員教授に就任し、学生に向けてスポーツ指導者論を教えている
仁志選手が今後、どのような指導者になっていくか楽しみです
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