この記事で解決できる悩みや疑問
- 世界のホームランランキングを知りたい
- MLBで王さんの記録の扱い方を知りたい
- 王さんの経歴を知りたい
2023,2024年と大谷翔平選手がMLBで本塁打王を取りましたが、世界で最も本塁打を打ったのは王貞治さんです
日本人の中では崇められている王さんですが、世界ではどのような評価なのでしょうか?
そこで、この記事では世界のホームラン記録や、王さんについて紹介していきます!
この記事の内容
- 世界ホームランランキング
- メジャーリーグで王さんの記録の扱い方
- 王さんの経歴
この記事を読むと、王貞治さんの経歴から、本塁打記録が世界でどう扱われているかがわかります!
では、解説していきます
世界ホームランランキング
まずは世界の通算ホームラン数をみてみましょう
順位 | 選手名 | 通算ホームラン数 |
---|---|---|
1 | 王貞治 | 868本 |
2 | バリー・ボンズ | 762本 |
3 | ハンク・アーロン | 755本 |
4 | ベーブ・ルース | 714本 |
5 | アルバート・プホルス | 703本 |
6 | A・ロドリゲス | 696本 |
7 | ウィリー・メイズ | 660本 |
8 | 野村克也 | 657本 |
9 | ケン・グリフィーJ | 630本 |
10 | ジム・トーミー | 612本 |
これが世界の通算本塁打TOP10です
王さん、圧倒的です。2位と100本以上の差をつけての1位です
これだけ見ても、王さんの偉業がわかります
メジャーリーグでの王さんの記録の扱われ方
メジャーリーグで、王さんの記録はもちろん称えられています
しかし、あくまで「参考記録」という見方をされています
こんな凄い記録なのになぜ?と思いますが、その理由は3つあるとされています
- 球場の広さ
- 投手レベルの違い
- リーグレベルの違い
それぞれ、みていきましょう
1.球場の広さ
球場が狭かったので、ホームランが打ちやすかったという理由です
当時、王さんが本拠地にしていた後楽園球場は両翼は87.8mでした
今のプロ野球球場の両翼は、ほとんどの球場で100mを超えています
確かに、昔は球場が狭かったということはありそうです
2.投手レベルの違い
投手のレベルが昔は低かったという理由です
昔は球速を測る機械が発達していなかったため、投手が実際にどれくらいの速さの球を投げていたかはわかりません
ただ、変化球は現代になる程、多彩になっているため、昔のほうが打ちやすかったと言えなくもないです
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一方、キャッチボールをしている映像から球速を計算すると、当時でも160kmを投げていたとも考えられています
従って、この理由はかなり信憑性が低いと思われます
3.リーグレベルの違い
最後の理由は、リーグレベルの違い。NPBとMLBのレベルの差です
確かに日本で年間55本塁打を打った松井秀喜選手は、メジャーリーグでは中距離バッターでした
MLBでもホームラン王を取ってしまう、大谷翔平選手は例外として、リーグレベルの差があることは認めざるを得ません
アメリカ人の心情面
これら3つの理由から、王貞治さんの記録は参考記録として扱われています
また、これら3つの理由以外に、世界一の記録を日本人にしたくないという、アメリカ人の心情面もあるのでしょう
実際、日本でも過去、韓国の李承燁選手が韓国リーグで56本/年を打った時、アジア新記録とは報道せず、参考記録として扱いました
韓国リーグを日本リーグよりレベルが低いと考え、認めたくない日本人の心情があったためでしょう
王さんの経歴
参考記録だとしても、王さんが偉大な記録を打ち立てたことに変わりありません
そんな、王さんの経歴をみてみましょう
王さんは日本人?中国人?台湾人?
王さんはその苗字から分かるように、ルーツは日本ではありません
王さんの国籍は「中華民国」になります
中華民国は今の台湾のことなのですが、台湾人ではありません
王さんのお父さんが生まれた当時は、中華民国は全て中国人でした
その後、内戦によって、中華民国政府は台湾に逃れ、台湾人となりました
王さんのお父さんはその際、台湾ではなく中国から日本に来たのです
そのため、王さんは中華民国国籍の中国人といえるでしょう
幼少期
日本に来日した王さんのお父さんは、東京墨田区でラーメン店を開業します
そこで出会った奥様と結婚し、王さんが誕生します
王さんは小学校4年生から野球を始めましたが、進学した中学に野球部はなく、地元の町工場の草野球クラブで野球をやっていました
ある日、グラウンドで野球をやっていると、当時プロ野球選手だった荒川博選手が通りかかりました
荒川さんは当時右打ちだった王さんに対して、左打ちを勧め、また、自分の母校である早稲田実業野球部に進学することを勧めたといいます
早実高等部時代
将来は父の希望もあり、電気技師になろうと思っていた王さんでしたが、目指していた都立墨田川高校の受験に失敗してしまいます
王さんはとてもショックを受けますが、結果、荒川博さんの勧めでもあった、早稲田実業高校に進学します
もし、王さんが墨田川高校に合格していた場合、墨田川高校には硬式野球部がなかったため、王さんは野球を続けていなかったでしょう
早実入学後は1年生の秋からエースを務め、2年生の夏の甲子園ではノーヒットノーランを達成します
3年生の春の選抜では2試合連続本塁打を打つなど、大活躍を見せ、プロ野球各球団から熱心な誘いを受けることになります
プロ野球時代
王さんは契約金1600万円、年俸144万円と当時では破格の条件で巨人に入団します
投打共に評価をされていましたが、キャンプでプロの球を見て投手を断念
オープン戦で5本の本塁打を放ち、開幕7番ファーストで先発出場します。が、結果は2三振。1年目は打率161、本塁打7本の成績で終わります
転機となったのは、巨人の打撃コーチに就任した「荒川博さん」の存在です
なんと、あの河川敷で王さんに声をかけ、左打ちを勧めた荒川さんです
王さん入団4年目のとき、荒川さんと二人三脚の特訓の中で編み出されたのが、一本足打法です
1962年のシーズンから一本足打法を解禁したところ、早速38本塁打・85打点で本塁打と打点王を獲得
そこからは13年連続で本塁打王、2年連続三冠王、首位打者5回、打点王13回と、とてつもない成績を残しました
まとめ
今回の記事では、王さんと世界のホームラン記録について解説しました
最後にポイントをまとめます
ポイント
- 王さんは868本の本塁打を打って、通算本塁打の世界記録をもっている
- 球場の広さや投手レベル、リーグレベルの差からアメリカでは尊敬はされているが、参考記録扱いになっている
- 王さんは荒川博さんとの出会いで、左打者になり、一本足打法を確立し、大活躍した
王さんを超える、日本人プロ野球選手がでてくるの楽しみですね!
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