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【将来監督予想もあり!】1987年~のヤクルト歴代監督の成績・順位一覧!

ヤクルトスワローズ歴代監督

この記事で解決できる悩みや疑問

  • ヤクルトスワローズ歴代監督の成績を知りたい
  • 将来のヤクルトスワローズ監督候補者を知りたい

ヤクルトは2021年に日本一になりました

ただ、その2021年の日本一が20年ぶりの優勝でした

20年前の優勝時の監督は誰だったのでしょうか

そこで、この記事では、過去のヤクルトスワローズの歴代監督成績と将来の監督予想を紹介します

この記事の内容

  • ヤクルトスワローズ歴代監督の成績一覧
  • ヤクルトスワローズ将来の監督予想

この記事を読むと、ヤクルトスワローズの歴代監督の成績がわかります

では、解説していきます

ヤクルトスワローズ歴代監督の成績一覧

ヤクルトの歴代監督と成績一覧です

監督成績順位
1987年関根潤三58勝64敗8分4位
1988年関根潤三58勝69敗3分5位
1989年関根潤三55勝72敗3分4位
1990年野村克也58勝72敗0分5位
1991年野村克也67勝63敗2分3位
1992年野村克也69勝61敗1分1位
1993年野村克也80勝50敗2分1位・日本一
1994年野村克也62勝68敗0分4位
1995年野村克也82勝48敗0分1位・日本一
1996年野村克也61勝69敗0分4位
1997年野村克也83勝52敗2分1位・日本一
1998年野村克也66勝69敗0分4位
1999年若松勉66勝69敗0分4位
2000年若松勉66勝69敗1分4位
2001年若松勉76勝58敗6分1位・日本一
2002年若松勉74勝62敗4分2位
2003年若松勉71勝66敗3分3位
2004年若松勉72勝64敗2分2位
2005年若松勉71勝73敗2分4位
2006年古田敦也70勝73敗3分3位
2007年古田敦也60勝84敗0分6位
2008年高田繁66勝74敗4分5位
2009年高田繁71勝72敗1分3位
2010年高田繁72勝68敗4分4位
2011年小川淳司70勝59敗15分2位
2012年小川淳司68勝65敗11分3位
2013年小川淳司57勝83敗4分6位
2014年小川淳司60勝81敗3分6位
2015年真中満76勝65敗2分1位
2016年真中満64勝78敗1分5位
2017年真中満45勝96敗2分6位
2018年小川淳司75勝66敗2分2位
2019年小川淳司59勝82敗2分6位
2020年高津臣吾41勝69敗10分6位
2021年高津臣吾73勝52敗18分1位・日本一
2022年高津臣吾80勝59敗4分1位
2023年高津臣吾57勝83敗3分5位
2024年高津臣吾62勝77敗4分5位 
2025年高津臣吾現在

ヤクルトは今まで9回リーグ優勝をしています

またそのうち、6回日本一になっており、セ・リーグで巨人に次、日本一の回数が多いチームです

そんな強豪ヤクルトを、今までどんな監督が率いていたのでしょうか

それぞれの監督について見ていきましょう

1987年~1989年:関根潤三監督

1987年から1989年にヤクルトの監督を務めていたのが関根潤三監督です

後に訪れるヤクルト黄金期の土台を作ったのは、関根監督と言われています

関根監督は1970年に1年だけカープ一軍打撃コーチをやっており、その際、山本浩二選手・衣笠祥雄選手・三村敏之選手ら主力選手を育てたことで有名です

しかし、結果は在籍した3年間すべてBクラス

それでも関根監督は、在籍期間の3年間は楽しかったと言います

池山隆寛選手、広沢克実選手、栗山英樹選手など、当時の若手を積極的に起用

池山選手や広沢選手を育てるために、どんなに三振をしても「彼らが自分で気づくまで我慢しようや」と口出しせず、ジッと我慢していました

低迷するチームの将来を考え、関根監督は種を蒔いたと言えるでしょう

1990年~1998年:野村克也監督

現役時代、史上2位の657本塁打を放ち、南海ホークスで選手兼任監督も務めた野村克也さんが、1990年ヤクルトの監督に就任します

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データ重視の「ID野球」をスローガンに掲げ、チーム改革に乗り出しました

主砲の池山隆寛選手や広沢克己選手には、三振を減らすことや状況に応じたバッティングを指導

「優勝チームに名捕手あり」の考え方から、ドラフト2位で入団した古田敦也選手をレギュラーに抜擢したりと、若手の育成を積極的に行いました

大胆なコンバートも有名で、当時捕手をしていた俊足の飯田哲也選手に目をつけ、球界屈指の「1番センター」に育て上げたのも野村監督です

1年目は結果が出ず5位でしたが、2年目序盤から燕旋風を巻き起こし、11年ぶりAクラス入り

「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせましょう」の公約どおり、就任3年目の1992年、ID野球が花開きリーグ優勝、黄金時代の幕開けとなりました

1993年は更に強さが増し、球団史上初の連覇、そして日本一を達成します

在籍9年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一に導くなど、文句のない成績を残しました

野村監督の言葉に「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」があります

財産を築いたり、仕事で業績をあげたりすること以上に、人を育てることは難しく、それゆえ価値があるということ

その成果もあり、現役時代に野村監督の指導を受けたことがある野村チルドレンが、今、球界を引っ張っています

1999年~2005年:若松勉監督

1999年、現役時代は「小さな大打者」と呼ばれた初代ミスタースワローズ若松勉さんが監督に就任しました

就任後、2年間は連続Bクラス

迎えた2001年のシーズン、沢村賞投手の川崎憲次郎選手がFAで中日に移籍、伊藤智仁選手が故障で離脱する状態で開幕を迎えます

しかし、真中満選手・宮本慎也選手・稲葉篤紀選手ら打撃陣が活躍し、6月でトップに立ちます

10月、横浜スタジアムで延長の末勝ち切り、就任後、初のリーグ優勝を決めました

優勝時の監督インタビュー「ファンの皆様、本当に……おめでとうございます!」は同年の流行語大賞にも選ばれています

「ありがとうございます」ではなく「おめでとうございます」だったのは、「感謝の気持ちを表す言葉であって、間違いではなかった」と後に発言しています

4年ぶりとなる日本シリーズも勝利し、球団5度目の日本一を達成します

リーグ優勝、日本一は監督7年間で一度きりでしたが、若松監督はファンにも選手にも愛された監督でした

2006年~2007年:古田敦也監督

チーム名称を「東京ヤクルトスワローズ」に変更した1年目のシーズン

名球会入りを果たした古田敦也選手が、選手兼任で新監督をスタートします

広島ラロッカ選手の獲得、石井一久選手・高津臣吾選手がメジャーから復帰するなど、積極的な補強を実施

7月の広島戦では監督が「代打オレ」でツーベースヒットを放ちます

1年目は3位から順位を上げられませんでしたが、2年ぶりのAクラス入り

2年目は岩村明憲選手がメジャーへ移籍し、ラロッカ選手も退団

投手陣も怪我で開幕に間に合わず、6月終わりの時点で借金14、その後も連敗が続き最下位に沈みます

引退セレモニーでは「また会いましょう」と言って締めくくり、古田監督はユニフォームを脱ぎました

ヤクルトファンだけでなく、相手チームファンからも惜しみない拍手が送られ、古田監督の人気を証明しました

2008年~2010年:高田繁監督

現役時代は巨人のV9戦士として活躍し、引退後は日ハム監督を経てヤクルトの監督に就任しました

石井一久選手がFA移籍し、その人的補償として福地寿樹選手を獲得し、開幕後の滑り出しは好調でした

しかし、5月に入り打線が沈黙し、5位でシーズンを終えます

ただ、石川雅規選手が防御率1位、青木宣親選手が打率2位、福地寿樹選手が盗塁王と個々の成績はよく、翌年に期待を残す結果でした

2009年はベイスターズから正捕手候補として相川亮二選手を獲得

館山昌平選手と石川雅規選手が2桁勝利、青木宣親選手は5年連続打率3割をマークし、クライマックスシリーズ進出を果たし、3位でシーズンを終えます

しかし、2010年チームは不振に陥り、4月末時点で最下位、交流戦で借金19となると、高田監督は休養を発表

監督代行の小川淳司さんが指揮をとるようになり、夏に驚異の巻き返しで最終的に4位でした

2011年~2014年:小川淳司監督

東日本大震災の影響により、2週間遅れでスタートした2011年

高田監督の休養後に監督代行として指揮を取っていた、小川淳司さんが正式に監督に就任

4月の9連勝もあり一気に首位になると、前半戦終了時、2位に8ゲーム差をつける独走態勢となります

そのまま独走が続くと思いきや、中日の猛追にあい、天王山となった10月の中日戦で4連敗を喫し、2位となりました

クライマックスでも中日に敗れ、後に小川監督は「2011年ほど悔しいシーズンはなかった」と言い残しています

悔しさを胸に迎えた次のシーズンも3位

その後は2年連続最下位となり小川監督は辞意を表明しました

2015年~2017年:真中満監督

2015年からは、前年まで一軍チーフ打撃コーチを務めた真中満さんが監督に就任します

幸先は良かったものの、5月に入ると最下位に転落します

夏頃からは2番・川端慎吾選手、3番・山田哲人選手、4番・畠山和洋選手という打順が確立

7月は月間チーム打率.307、113得点とどちらもリーグトップの数字を記録します

迎えた10月2日、監督就任1年目、劇的なサヨナラ勝ちで14年ぶり7度目の優勝を決めます

この年(2015年)は川端慎吾選手が首位打者と最多安打、山田哲人選手がトリプルスリーを獲得しています

しかし、2016年2017年は共にBクラスに沈みます

特に2017年の96敗は、球団ワーストを67年ぶりに更新し、歴史的大敗の責任をとって真中監督は辞意を表明しました

2018年~2019年:小川淳司監督

前年、屈辱的なシーズンとなったチームを立て直すべく、2014年に退任した小川監督が戻ってきました

前年の大敗から改革を断行するため、ヘッドコーチにOBの宮本慎也さんが招集

序盤は低迷していたチームも、交流戦に入ると息を吹き返します

交流戦、セリーグ5球団が勝率5割以下となる中、ヤクルトは12勝6敗の好成績

6月は小川泰弘選手と青木宣親選手、7月は山田哲人選手が月間MVPを受賞

広島以外の4球団に勝ち越し、2015年以来となるAクラス、2位でシーズンを終えました

オフのインタビューで小川監督は「青木選手の存在が大きかった」と言っています

しかし、2019年は再び最下位に転落、成績不振の責任を取って小川監督は辞意を表明しました

2020年~:高津臣吾監督

2020年から、投手陣の再建を図るため、高津臣吾さんが監督に就任

監督就任1年目は大きな連敗もあり、41勝69敗10分で2年連続の最下位

迎えた2021年、国内FA権を取得していた山田哲人選手、小川泰弘選手、石山泰稚選手らが揃って残留

メジャーリーグからはオスナ選手、サンタナ選手を補強しました

前半戦は3位で終えますが、9月に入ると連勝が続き、首位に

10月26日、ベイスターズを倒し、2年連続最下位からの、2015年以来6年ぶり8度目のリーグ優勝を果たします

日本シリーズの相手は、オリックス・バファローズ

4勝2敗でオリックスを倒し、20年ぶりの日本一を決めました

2022年も2年連続リーグ優勝

日本一はなりませんでしたが、村上宗隆選手が史上最年少で三冠王を達成しています

2023年2024年は5位でしたが、2025年はどんな戦いを見せてくれるのか楽しみです

ヤクルトスワローズ将来の監督予想

ここまで歴代のヤクルト監督を見てきましたが、将来ヤクルトの監督になるであろう選手3人を勝手に選びました

きっと、誰もが納得できる3人なのではないでしょうか

1人目:池山隆寛選手

ヤクルト一筋19年、90年代の黄金期のメンバーです

現役当時は、豪快なフルスイングから「ブンブン丸」の愛称で、ファンから愛されていました

引退後はヤクルトの1軍・2軍の打撃コーチ、楽天では当時野村克也監督に呼ばれる形でコーチを務め、指導者としての経験を着実に積んでいます

野村監督の指導論である「弱者の兵法」に着目し、自ら戦略について勉強しているといいます

ファンからも球団関係者からも支持されており、次の監督の大本命ではないでしょうか

2人目:宮本慎也選手

現役時代は遊撃手で6度、三塁手で4度ゴールデングラブ賞を獲得

守備の人というイメージが強いですが、通算2000安打など、打撃でも優秀な成績を納めています

指導経験は2018年の第二次小川淳司監督時代にヘッドコーチを務めています

冷静なプレイが多かった宮本さんは、次期監督候補の呼び声が高いです

3人目:嶋基宏選手

「将来は野村監督のように、名将と言われる指導者になりたい」

そう言って2022年に選手生活を終えた嶋選手は、現在、ヤクルトでヘッド兼バッテリーコーチをやっています

2021,2022年のヤクルトリーグ連覇にも貢献し、若手選手が「雰囲気が良いのは嶋さんのおかげ」と口を揃えるほどチームに欠かせない存在となっています

リーダーシップや人間性、気配りなど、周りを惹きつける力があるため、監督に向いていると思います

このまま指導者の経験を積んで、ゆくゆくは一軍監督になってほしいです

まとめ

今回の記事では、ヤクルトスワローズの歴代監督の成績を紹介を紹介しました

最後にポイントをまとめます

ポイント

  • ヤクルトがリーグ優勝した回数は9回、そのうち6回日本一になっている
  • ヤクルトの黄金期は野村克也監督の1990年から1998年。3度の日本一を果たしている
  • ヤクルトが最後にリーグ優勝したのは2021年

今年のヤクルトの結果が楽しみですね!

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  • この記事を書いた人

ほくと

小学生から野球を始め、野球歴30年、阪神タイガースファン歴も30年。大学時代は4年間バッティングセンター勤務。草野球チーム運営歴は20年になります。野球はやるのも観るのも大好き。野球を「やる人」も「観る人」も、今よりもっと野球を楽しめるようになる情報を発信していきます。野球グッツのレビュー依頼や質問は、お気軽にお問い合わせフォームまでどうぞ。詳しいプロフィールはこちら