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【1987年~】横浜DeNAベイスターズの歴代監督の成績一覧。将来の監督も予想してみた!

この記事で解決できる悩みや疑問

  • 横浜DeNAベイスターズ歴代監督の成績を知りたい
  • 将来の横浜DeNAベイスターズ監督候補者を知りたい

現在、プロ野球12球団で最もリーグ優勝から遠ざかっているチームが、横浜DeNAベイスターズです

1998年のリーグ優勝・日本一から優勝できていません

そこで、この記事では、過去の横浜DeNAベイスターズの歴代監督成績と将来の監督予想を紹介します

この記事の内容

  • 横浜DeNAベイスターズ歴代監督の成績一覧
  • 横浜DeNAベイスターズ将来の監督予想

この記事を読むと、横浜DeNAベイスターズの歴代監督の成績がわかります

では、解説していきます

横浜DeNAベイスターズの歴代監督の成績一覧

横浜の歴代監督と成績一覧です

監督成績順位
1987年古葉竹識56勝68敗6分5位
1988年古葉竹識59勝67敗4分4位
1989年古葉竹識47勝80敗3分6位
1990年須藤豊64勝66敗3分3位
1991年須藤豊64勝66敗1分5位
1992年須藤豊・江尻亮61勝69敗1分5位
1993年近藤昭仁57勝73敗0分5位
1994年近藤昭仁61勝69敗0分6位
1995年近藤昭仁66勝64敗0分4位
1996年大矢明彦55勝75敗0分5位
1997年大矢明彦72勝63敗0分2位
1998年権藤博79勝56敗1分優勝・日本一
1999年権藤博71勝64敗0分3位
2000年権藤博69勝66敗1分3位
2001年森祇晶69勝67敗4分3位
2002年森祇晶49勝86敗5分6位
2003年山下大輔45勝94敗1分6位
2004年山下大輔59勝76敗3分6位
2005年牛島和彦69勝70敗7分3位
2006年牛島和彦58勝84敗4分6位
2007年大矢明彦71勝72敗1分4位
2008年大矢明彦48勝94敗2分6位
2009年大矢明彦51勝93敗0分6位
2010年尾花高夫48勝95敗1分6位
2011年尾花高夫47勝86敗11分6位
2012年中畑清46勝85敗13分6位
2013年中畑清64勝79敗1分5位
2014年中畑清67勝75敗2分5位
2015年中畑清62勝80敗1分6位
2016年A.ラミレス69勝71敗3分3位
2017年A.ラミレス73勝65敗5分3位
2018年A.ラミレス67勝74敗2分4位
2019年A.ラミレス71勝69敗3分2位
2020年A.ラミレス56勝58敗6分4位
2021年三浦大輔54勝73敗16分6位
2022年三浦大輔73勝68敗2分2位
2023年三浦大輔74勝66敗3分3位
2024年三浦大輔現在 

横浜は今まで2回リーグ優勝をしています

1960年と1998年です

2回とも日本一になっているので、最後に日本一になったのも1998年ですね

それぞれの監督について見ていきましょう

1987年~1989年:古葉竹識監督

1975年から広島を指揮し、11年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した古葉監督が、1987年から横浜大洋ホエールズの監督に就任しました

それまで、監督が2~3年周期で代わっていた大洋ホエールズでしたが、異例の5年契約でした

古葉監督の座右の銘は「耐えて勝つ」

チームを救うべく就任となりましたが、すぐにチームを変えることはできませんでした

絶対的エースの遠藤一彦選手が就任1年目の1987年にアキレス腱を断裂など、苦しい投手事情が続きました

まだ任期が2年残っている1989年、大型連敗に沈む中、古葉監督は突如解任になりました

後に「チームを変えるにはやはり5年は必要だと痛感しました」と語っている古葉監督

在籍3年間、一度もAクラス入りはならず、悔しい契約途中の解任となってしまいました

1990年~1991年:須藤豊監督

1990年からは、若手選手育成に定評のある須藤豊さんが監督になりました

日本テレビの解説者や巨人の一軍守備走塁コーチなどを経ての監督就任でした

須藤監督は1991年、スタミナ面で課題があった当時2年目の佐々木主浩選手を抑えに抜擢

後に誕生する「ハマの大魔神」誕生のきっかけを作りました

就任1年目は7年ぶりのAクラス入りを果たしましたが、2年目は故障者が続出し、再びBクラス入りの5位となりました

1992年:須藤豊・江尻亮監督

須藤監督が5月途中に休養に入ると、江尻亮ヘッドコーチが監督代行に就任しました

ダブルストッパー体制を取り入れ、若手を積極的に使う起用法がはまり、チーム状態は上がっていきます

ただ、5月までの借金が響き、結果は5位でした

この年は大洋ホエールズとして最後の年でもありました

セットアッパーの盛田幸妃選手が最優秀防御率、守護神の佐々木主浩選手が21セーブをあげるなど、チーム防御率は3.75と大健闘でしたが、チーム打率は最下位でした

1993年~1995年:近藤昭仁監督

1993年、チームが横浜ベイスターズへ改称しました

この記念すべき年に、監督を任されたのは、大洋の二塁で活躍バントの名手として知られていた近藤監督です

しかし、結果は5位に終わります

オフには巨人からFAで駒田徳広選手を獲得した一方、過去8度打率3割をマークしたことがある高木豊選手、盗塁王を獲ったことのある屋鋪要選手など主力選手6名を解雇し、大きな話題となりました

チームの若返りを図った1994年でしたが、開幕から躓き、最終的に5位

翌1995年は、16年ぶりのシーズン勝ち越し、12年ぶりの勝率5割越えとなりますが、順位は4位

3年間で一度もAクラス入りはならず、近藤監督は退任することとなります

1996年~1997年:大矢明彦監督

近藤監督の後は、一軍バッテリーコーチを務めていた大矢明彦さんが、監督に昇格しました

大矢監督はコーチ時代、谷繁元信捕手を徹底的に鍛え上げて一流の捕手へと育てあげてた実績があります

しかし、チーム結果は奮わず、結果は5位に沈みます

失点660は12球団で最下位となりました

投手陣再建のため、2年目シーズンはコーチ陣を再編します

シーズン途中までは優勝もあるくらい好調でしたが、9月ヤクルトとの天王山、石井一久選手にノーヒットノーランをされてしまい、そこから失速

結果、惜しくも2位でシーズンを終了しました

2位で終わったものの、大矢監督は辞任となりました

1998年~2000年:権藤博監督

1998年からは、前年に一軍バッテリーチーフコーチに就いていた権藤コーチが監督に就任しました

権藤監督は「全体ミーティングをしない」「夜間練習を強制しない」「送りバントをしない」「監督呼称の禁止」など権藤流でチームを率います

放任主義と言われていましたが、何もしないわけではありません

「選手にも個性や立場がある。やるのは選手、選手のやりやすいようにやらせるのが監督の仕事」を信念にチームを運営

マシンガン打線と大魔神佐々木主浩選手の活躍もあり、6月には首位にたちます

特に打撃が好調で、チーム打率/得点/安打/二塁打/三塁打とリーグ1位の成績を残します

投手陣も安定した働きを見せ、38年ぶりのリーグ優勝そして日本一を果たします

権藤監督は2000年まで監督を務め、3シーズンをすべてAクラスで終えました

まさに、横浜監督の歴史に残る、名監督でした

2001年~2002年:森祇晶監督

巨人V9時代の正捕手で「V9の頭脳」と言われ、西武監督時代に黄金時代に導いたのが森監督です

緻密な野球思考が信条で、横浜をサイン・プレーを中心とした野球に転換します

2001年は谷繁選手や中日からトレードで獲得した種田仁選手などの活躍もあり3位となりましたが、オフには谷繁選手が移籍してしまいます

2002年はチーム打率が最下位まで低下、チームも最下位を独走し、森監督は辞任となりました

2003年~2004年:山下大輔監督

1973年に大洋ホエールズにドラフト1位で入団、甘いマスクから大洋のプリンスと言われていた山下大輔監督

生え抜き選手として、ファンから待ち望まれて監督に就任しました

就任後は、新たなコーチ陣を招聘したり、メジャーリーガーやトレードで選手を獲得しますが、故障や不調が続きます

チーム防御率はリーグ最下位の4.80、5年ぶりに大リーグから復帰した佐々木主浩選手もセーブ失敗が続き、森監督時代の2002年から3年連続最下位に終わります

山下監督はシーズン終了後、任期満了で退任となりました

2005年~2006年:牛島和彦監督

1993年、32歳でプロ野球生活を引退、その後は、一度もユニフォームを着ることがなかった牛島監督

コーチ要請などで声がかかったこともありましたが、断り続けていました

しかし、43歳の時に横浜ベイスターズから監督就任の声がかかると、熟考の末承諾します

3年連続の最下位と低迷していたチームの投手陣を立て直します

三浦大輔選手が4年ぶりの二桁勝利、クルーン投手が投球フォームを改善したことで、絶対的な守護神になります

結果、2005年、投手陣はチーム防御率3.68でリーグ2位の成績を上げました

しかし、補強や選手の起用方法などチーム編成を巡りフロントと亀裂が生まれます

それに伴いチームも低迷し、2006年は再び最下位となり、牛島監督は辞任となりました

2007年~2009年:大矢明彦監督

低迷しているチームを救うべく、1997年に退任した大矢監督がベイスターズに戻ってきました

1年目は4位でしたが、2008年は優勝した巨人と36.5ゲーム差で2年ぶりに最下位へと転落

投手陣を再建しようとヤクルトやソフトバンクからコーチを招聘し、二軍スタッフも一新しました

しかし開幕6連敗で波に乗れず、大矢監督は休養

最終的に首位巨人に42.5ゲーム差をつけられ2年連続の最下位となり、シーズン終了後辞任することになりました

2010年~2011年:尾花高夫監督

2年連続最下位のチームを変えるべく、尾花高夫さんが監督に就任しました

就任会見では「アナライジング・ベースボール(分析野球)」を掲げ、3年契約で、1年目は意識改革・2年目は戦力充実・3年目は勝負という構想を立てました

しかし、結果は1年目も2年目も最下位となってしましました

シーズン終了後にはTBSがDeNAに球団譲渡を発表

球団名も「横浜DeNAベイスターズ」と改称し、尾花監督は解任となりました

2012年~2015年:中畑清監督

横浜DeNAベイスターズ第一代目の監督は中畑清さんが務めました

4年間で5位が2回・6位が2回と成績は振るいませんでしたが、中畑監督は選手の世代交代や集客でチームに多大な貢献をしました

野手では筒香嘉智選手や梶谷隆幸選手、投手は砂田毅樹選手、石田健大選手、山崎康晃選手など20代の選手が活躍を見せました

集客は、2011年ベイスターズの観客動員数は12球団最下位だったにも関わらず、中畑監督就任後は、2013年10位→2014年8位→2015年7位と大躍進

就任から4年間で、観客動員は165%アップしました

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【阪神は世界的球団!?】球団別プロ野球観客動員数ランキング!観客動員数を増やす方法も解説

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イベントなどへ積極的に参加、どんなに成績が振るわなくても絶対にインタビューの応えてくれるなど、地道なファンサービスが観客動員を増やしたと言われています

今のベイスターズの土台を作ったのは、中畑監督と言ってもいいでしょう

2016年〜2020年:A.ラミレス監督

2017年新監督としてアレックス・ラミレスさんが監督に就任しました

中畑監督時代の明るい雰囲気も引継ぎながら、チーム成績を向上させることで、観客動員数の増加に成功しました

成績も2017年には3位からクライマックスを通過し、19年ぶりに日本シリーズ進出

万年Bクラスが続いていたチームが、強くなったことを実感するシーズンでした

ファンを大切にし、サービス精神旺盛なラミレス監督

5年間でリーグ優勝はありませんでしたが、最終戦巨人の原辰徳監督から花束を手渡されて、その任期を終えました

2021年~:三浦大輔監督

ラミレス監督の後を継いだのはハマの番長こと三浦大輔さん

1992年大洋ホエールズにドラフト6位で入団し、横浜一筋25年

横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズ、3球団すべてに在籍したことがある唯一の選手です

引退セレモニーで「これからも三浦大輔はずーっと横浜です。ヨ・ロ・シ・ク!」と言ってユニフォームを脱いだのが2016年

2019年に一軍投手コーチとして現場復帰し、翌年2020年、ついに監督に就任します

就任1年目は開幕6連敗やその後10連敗もあり最下位となりましたが、その後は2年連続Aクラス入り

2024年も交流戦から連勝が続き、チームは好調を維持しています

1998年以来の優勝を目指しています!

横浜DeNAベイスターズ将来の監督予想

ここまで歴代の横浜監督を見てきましたが、将来横浜の監督になるであろう選手3人を勝手に選びました

きっと、誰もが納得できる3人なのではないでしょうか

1人目:石井琢朗選手

現役時代は2432本の安打を記録した石井選手

ハマの切込隊長という名前で、20年間不動のリードオフマンとして、横浜を支えました

指導者としても広島、ヤクルト、横浜のコーチを歴任しており、実績は十分です

当時ヤクルト高卒2年目の村上宗隆選手を徹底的に指導し、一軍に定着させたのも石井さんの実績です

2016年広島の一軍打撃コーチ時には、前年チーム打率がリーグ5位の打線を指導し、打率、本塁打、得点、盗塁がリーグトップとなる成績を収め、優勝の原動力となりました

2022年から横浜DeNAベイスターズでコーチを務めているので、次の監督の最有力候補だと思います

2人目:内川聖一選手

NPBにおける右打者史上最高打率(.378)記録保持者であり、日本を代表するアベレージヒッターです

両リーグで首位打者獲得、7年連続打率3割達成など、実績は申し分ありません

NPB引退後は、九州アジアリーグの大分B-リングスに入団し、チームメンバーの育成も行いました

WBCでの活躍もあり、ファンからの人気も高い選手です

2001年から2010年という横浜低迷期を支えた選手なので、是非、監督で横浜優勝を選手と一緒に味わってほしいですね

3人目:筒香嘉智選手

横浜高校出身、ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団、横浜で4番打者と、横浜ベイスターズの監督にはぴったりの経歴です

2020年からはMLBに挑戦し、なかなか結果がでない中、マイナー契約でももがき、ひたむきに頑張る姿は、日本人に愛されました

2024年、巨人やパ・リーグ球団からも誘いがあったにも関わらず、横浜DeNAに復帰したことは、横浜ベイスターズファンの心を掴んだと思います

このまま、横浜を優勝に導き、将来の監督に是非なってほしいです

まとめ

今回の記事では、横浜ベイスターズの歴代監督の成績を紹介を紹介しました

最後にポイントをまとめます

ポイント

  • 横浜が日本一になったのは1960年と1998年の2回
  • 横浜の黄金期は権藤博監督の1998年から2000年。3年連続Aクラス入りを果たしている
  • 横浜は1998年を最後にリーグ優勝から遠ざかっている

今年の横浜の結果が楽しみですね!

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  • この記事を書いた人

ほくと

小学生から野球を始め、野球歴30年、阪神タイガースファン歴も30年。大学時代は4年間バッティングセンター勤務。草野球チーム運営歴は20年になります。野球はやるのも観るのも大好き。野球を「やる人」も「観る人」も、今よりもっと野球を楽しめるようになる情報を発信していきます。野球グッツのレビュー依頼や質問は、お気軽にお問い合わせフォームまでどうぞ。詳しいプロフィールはこちら