この記事で解決できる悩みや疑問
- 中島宏之選手の経歴を知りたい
- 中島宏之選手の成績を知りたい
- 中島宏之選手の現在の様子
メジャーリーグにも挑戦した攻撃型遊撃手、中島宏之選手
メジャーリーグに行く前と行った後、どのように活躍をしているのでしょうか
この記事では中島宏之選手について詳しく解説していきます
西武ライオンズでの全盛期やメジャー時代の成績、現在の様子まで紹介します
この記事の内容
- 中島宏之選手の通算成績
- 中島宏之選手の経歴
- 中島宏之選手はなぜメジャーで活躍できなかったのか
この記事を読むと、中島宏之選手の全盛期からメジャー成績、現在の様子までがわかります!
では、解説していきます
中島宏之選手の通算成績
中島宏之選手は埼玉西武ライオンズで活躍し、さまざまなタイトルを獲得してきました
中島選手の主な獲得タイトル
- ベストナイン 通算4回受賞
(2008年,2009年,2011年,2012年) - ゴールデングラブ賞 通算3回受賞
(2008年,2011年,2012年) - 最高出塁率 通算2回受賞
(2008年,2009年) - 最多安打 通算1回受賞
(2009年)
2000年にドラフト5位で埼玉西武ライオンズに入団すると、2004年から中心選手としてチームを引っ張ります
特に2009年には、遊撃手部門でベストナイン、最高出塁率、シーズン173安打で最多安打を受賞
さらにはシーズン100打点を記録し、これは遊撃手として元阪神の鳥谷選手以来、史上二人目の偉業です
攻撃型遊撃手として、中島選手がいかに優れた選手だったかがわかります
そんな中島選手はどのような経歴を経てプロ野球選手になったのでしょうか
中島宏之選手の経歴
小学生時代から全国大会に出場するなど、野球エリートとしての経歴を持つ中島宏之選手
常に挑戦と変化を恐れない野球人・中島宏之選手の半生を振り返ります
幼少期〜高校生
1982年7月31日に兵庫県伊丹市に誕生した中島宏之選手
小学生の頃から全国大会に出場し、中学校では、毎年有望な選手が高校で活躍する宝塚シニアに所属します
ちなみに小学校時代には、その後、オリックスで活躍した山崎勝己選手とバッテリーを組んでいました
高校進学時には県外からもスカウトが来るほど、既に活躍していました
地元・兵庫県の強豪校である報徳学園高校を受験するも合格にいたらず、地元の公立校(伊丹北高校)に進学します
伊丹北高校では、1年生からレギュラーに定着し、投手を務めていました
一方で、対外試合で通算43本塁打を打ったことから、西武のスカウト陣の目にとまり、プロ野球選手人生がスタートします
プロ1年目〜全盛期
中島選手は西武ライオンズに入団すると一年目から遊撃手を守ります
当時、レギュラー遊撃手の松井稼頭央選手がメジャーリーグに移籍すると予想され、その後継者枠を狙うためです
その後、実際、松井選手はメジャーに移籍し、中島選手は2004年からレギュラーに定着すると、攻守に渡って活躍します
2009年に中島選手は選手としての全盛期を迎えます
ベストナイン、最多安打、最高出塁率などの打撃部門で他の選手を寄せ付けない活躍を見せます
守備部門でも守備率.980、最多補殺446、最少失策12を記録
打撃部門に加えて守備部門でも安定した成績を残します
世間では、攻撃型遊撃手として知られていますが、高い守備力を兼ね備えたバランスのいい野球選手であることがわかります
メジャーリーグ挑戦
2013年からかねてより目標にしていたメジャーリーグに挑戦します
海外FA権を行使してオークランド・アスレチックスと契約します
海外FA権については、こちらで詳しく説明しています
-
【なぜ球団認めない】MLBに行くポスティング制度を解説。海外FA権との違いも紹介します
続きを見る
日本球界での活躍の勢いそのままにメジャーリーグでの活躍が期待されましたが、移籍直後に怪我をしてしまいます
左太もも裏の損傷や左手首の骨折などの怪我に悩み、メジャー昇格を経験することなくマイナー生活が続きます
そして、オークランド・アスレチックスの球団側が2015年のFA契約を破棄することで、中島選手のメジャー挑戦はわずか2年で終わりました
結果、MLBの試合には1試合も出場することなく日本に帰ることとなりました
怪我をしていない中島選手がMLBで活躍する姿を見てみたかったですね
日本球界への復帰
2015年に日本球界への復帰を表明すると、西武や阪神、オリックスの争奪戦となりました
オリックスが獲得に成功しましたが、オリックスを選んだ理由は、小学生時代に共に全国大会に出場した山崎勝己選手から誘われたためです
小学校の頃からの幼馴染と一緒にプロ野球の世界で戦うなんてすごいですよね
2019年には、打撃力を強化したいチームの意向と中島選手の希望がマッチし、巨人に移籍します
2020年には、100試合出場、打率.297、7本塁打、29打点の記録を残します
2021年から中田翔選手が巨人に加入し、ポジション争いに敗れ、中島宏之選手はレギュラーから外れてしまいます
2023年に巨人から戦力外通告を受けると、引退するのではと噂されます
しかし、世間からの引退の声をはねのけ、2024年シーズンは中日ドラゴンズに移籍
球団唯一の40代である中島選手は、若手選手のお手本として、活躍しています
2000本安打の偉業も見えてきた中島選手の今後の活躍に期待ですね(2024年時1928安打)
2024年オフに中日から解雇されていますが、現役続行を希望しています
中島宏之選手はなぜメジャーで活躍できなかったのか
中島選手はメジャーリーグに昇格できなかったため、マイナーリーグの成績しか残っていません
マイナーリーグの成績
- 2013年:打率.283、4本塁打、OPS.698(AAA)
- 2014年:打率.266、6本塁打、OPS.704(AA)
マイナーリーグでも飛び抜けていい成績を残すことはできませんでした
中島選手が活躍できなかったのは、移籍直後の怪我の影響が大きいです
ただ、怪我以外にも2つの理由があったと言われています
1つ目がメジャーリーグの球威に負けたこと、2つ目が動くストレートへの対応力不足です
メジャーリーグ投手の投げるボールは日本投手より球威があります
日本ではホームランバッターだった松井秀喜選手が、メジャーでは中距離バッターになったのも、メジャーリーグ投手の球威を証明しています
また、メジャー投手の投げるストレートはムービングボールと呼ばれています
ムービングボールとは、投げ方のクセや握りによって、純粋な回転にならず打者の手元で少し動くボールのことです
素直な回転の日本投手とは異なり、対応するのが難しかったと考えられています
これにより、バットの芯に当てることが難しく、凡打を量産してしまいました
日本では活躍していた中島選手でさえ、怪我とメジャーの壁に阻まれて、活躍することができませんでした
まとめ
今回の記事では、中島宏之選手について解説しました
最後にポイントをまとめます
ポイント
- 攻守ともにバランスのとれた遊撃手だった中島選手は球界を代表する選手として活躍した
- 渡米直後の怪我の影響やメジャー投手独自のボールに対応ができず、メジャーリーグには一度も昇格できなかった
- 日本に帰国後も現役でのプレーこだわり、2,000本安打達成が期待されている
中島選手には、ぜひ2,000本安打を達成して欲しいですね
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