この記事で解決できる悩みや疑問
- 前田智徳選手の経歴を知りたい
- 前田智徳選手はなぜ天才なのか
- 前田智徳選手の現在の様子
イチロー選手や落合選手など天才と呼ばれる選手が、前田智徳選手を天才と呼んでいます
元広島東洋カープの前田智徳選手はどうして天才と呼ばれるのでしょうか?
この記事では前田智徳選手について詳しく解説していきます。打撃成績や天才と呼ばれるエピソード、引退後の現在の様子まで紹介します
この記事の内容
- NPBでの通算成績
- 前田智徳選手の経歴
- 前田智徳選手の天才エピソード
- 前田智徳選手の引退後
この記事を読むと、前田智徳選手の経歴から天才エピソード、引退後の現在の様子がわかります!
では、解説していきます
NPBでの通算成績
広島東洋カープに在籍し、そのバットで安打を量産した天才打者・前田智徳選手
ルーキーとしての入団当初から代打の切り札になる晩年まで、広島東洋カープの大黒柱としてチームを引っ張ってきました
まずは、前田智徳選手の現役時代の成績を振り返りましょう
1990年から2013年まで24年間を広島東洋カープ一筋でプレーした前田選手は、天才と言われながら努力を惜しまないストイックさによって、様々な輝かしい成績を残しています
前田選手の主な受賞歴
- 打率3割通算11回(1992年〜94年,96年〜99年,2002年,04年〜06年)
- ベストナイン通算4回(1992年〜94年,98年)
- ゴールデングラブ賞通算4回(1991年〜1994年)
- カムバック賞(2002年)
- 2000本安打(2007年)
これだけでも、前田選手がいかに優れた野球選手だったかがわかります
前田智徳選手の経歴
数々の偉大な成績を残してきた前田選手の野球人生は、選手として大成功を収めています
ですが、その野球人生は決してエリートと呼べるものではありませんでした
理想の打撃にならない自分への不甲斐なさ、プロ入りの決断を迷ったドラフト会議、大きな絶望を味わった二度の大怪我など、前田選手が味わった栄光と挫折を紹介します
幼少期〜高校生
1971年6月14日に熊本県玉名市に誕生した前田智徳さん
中学校から軟式野球を始め、熊本の名門校である熊本工業高校に入学
甲子園には通算3度、高校2年生で春のセンバツと夏の甲子園、高校3年生でチームの主将・4番として夏の甲子園に出場しています
勝負強いバッティングと誠実な野球への取り組みを評価され、プロ11球団がスカウトに訪れます
前田選手は熊本県の出身のため、地元球団の福岡ソフトバンクホークスへの入団を熱望していましたが、ドラフト当日にホークスからの指名はなく、広島カープが指名、前田選手は涙ながらに広島カープ入団を拒否します
前田選手のドラフト指名を公言していた広島・宮川スカウト「俺たちは約束を守ったぞ。男だったら約束を守れ」と必死に説得しました
この言葉に心を揺さぶられ、前田智徳選手のプロ野球選手人生がスタートします
プロ1年目〜全盛期
プロ1年目のルーキー時代から一軍戦に出場し、2年目には開幕一軍スタメンの座を掴むと安定した成績を維持します
新人王は獲得できなかったものの、史上最年少でゴールデングラブ賞を受賞し、チームは4年ぶりのリーグ優勝を果たします
3年目以降も前田選手の快音は止むことなく、広島カープの中心選手になると3年連続打率3割とベストナインを受賞
順調にキャリアを伸ばしていた前田選手の野球人生に悲劇が起きます
前田選手の怪我
- 1995年(プロ6年目)に右アキレス腱断裂の大怪我
- 1998年(プロ9年目)に左ふくらはぎを損傷
1995年の怪我をしたときには、前田選手本人が「前田智徳という打者はもう死にました」と語っています
理想の打撃を追求できなくなった体では、もはや前田智徳という野球人は死んだも同然ということでした
それでも2度の大怪我を乗り越えた前田選手は2003年〜2007年の5年間、全盛期を彷彿とさせる打撃で打率3割前後を記録、奇跡の復活を果たします
2007年には2000本安打を達成するなど回復を期待された前田選手でしたが、以降怪我に悩まされるシーズンが多く、満足した成績を残せなくなりました
プロ晩年時代
プロ野球選手として晩年を迎えた前田選手は、広島カープの代打の切り札として活躍します
終盤のチャンスの場面で代打で登場し、幾度となく決勝打を放ちチームを勝利に導きました
一振りに自身の野球選手生命と試合の勝敗をのせて勝負する姿は、まさに「サムライ」と呼ぶにふさわしいです
そして、通算2119安打を放った前田選手は2013年に、惜しまれながらも24年間のプロ野球人生に幕を下ろしました
前田智徳選手の天才エピソード
栄光と挫折を味わった前田選手ですが、なぜ天才と呼ばれるのでしょうか
それは、独自の打撃理論を持って自身の打撃内容を追求する「異常なまでの探究心」が大きく関係しています
熊本工業高校時代、ヒットを打った直後の前田選手は打球ではなくバットをみて、どこに当たったのか確認していました
前田選手のバットには打球痕が一つしかなかったと、今も語り継がれる伝説となっています
高校3年生で甲子園の舞台にたった前田選手は、初戦の日大三島戦で第一打席からヒットを放ちます
ヒットを打つも自らの理想の打撃とはかけ離れていたため、ベンチで号泣しなかなか守備につけませんでした
プロ2年目の対ロッテのオープン戦で前田選手は5打数5安打の大当たり
試合後のインタビューで「しっかり打てたのは4打席目だけ。他の打席は当てただけ」と不満を口にしました
現役引退後の取材で、野球人生で最も印象的な打球について聞かれ「ファールなら一度ある」と回答しました
ホームランやヒットの打球をださないところに、前田選手の打撃への探究心を垣間見れます
現役時代のイチローは前田選手をこう賞賛しています
「僕のことを天才だという人がいますが、本当の天才は前田さんですよ」
打席でのトップの位置から体の芯が全くぶれず、全身の力を素直にボールに伝える前田選手の打撃フォームは、球道者・前田選手だからこそたどりついた境地なのでしょう
前田智徳選手の引退後
前田選手は、引退後も野球解説者やコメンテーターとして活動していましたが、現在はまた違う動きが見られています
2023年11月、前田選手はバットをゴルフクラブにもちかえ、プロゴルファー・稲森佑貴に弟子入りを志願したのです
「日本一曲がるアマチュア」を自称するほど打球が曲がってしまう前田選手は、「日本一曲がらない」と言われる稲森佑貴プロからドライバーショットを学んでいます
現役時代には球道者と呼ばれた前田選手ですが、競技が変わってもその探究心はとどまることがありません
また、子供たちの活躍も引退後の楽しみになっているようです
次男の前田晃宏さんは慶應義塾大学野球部に在籍しており、一年生ながら投手として好リリーフを見せるなど活躍しています
まとめ
今回の記事では、前田智徳選手について解説しました
最後にポイントをまとめます
ポイント
- 前田選手は、輝かしい成績の栄光だけでなく二度の大怪我を負う挫折があった
- 引退後は自慢のバットをゴルフクラブに変え、プロゴルファーに弟子入りするほどゴルフ好きになっている
- 次男・前田晃宏さんは慶應義塾大学野球部に在籍して、一年生ながら投手として好リリーフを見せている
前田選手には、将来ぜひ日本のプロ野球界に戻ってきて欲しいですね
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