この記事で解決できる悩みや疑問
- プロ野球選手の契約更改、保留や越年が減った理由は?
- プロ野球選手の年俸はなぜ「推定」なのか
11月上旬〜12月にプロ野球選手の契約更改のニュースが流れますよね
お金の話はみんな大好きです
そこで、この記事ではプロ野球の契約更改について詳しく紹介していきます!
この記事の内容
- プロ野球の契約更改とは
- プロ野球の契約更改の課題
- なぜ、保留や越年する選手が減ったのか
- 契約更改の名言ランキング
では、紹介していきます
プロ野球の契約更改とは
プロ野球の契約更改とは、シーズン終了後に球団と選手が翌年度の契約内容について話し合うことです
年俸がいくらかに焦点があたりがちですが、契約期間や出来高や査定の仕方など、契約に関する内容をここで合意します
時期は11月上旬〜12月に行われます
プロ野球年間スケジュールについては、こちらの記事でも詳しく解説しています
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そもそも、球団と選手の契約期間は2月1日から11月30日までとなっています
そのため、契約がきれる11月から次年度の契約の話をするというわけです
万が一、次年度の契約開始の2月1日までに話がまとまらなかった場合には、自費で春季キャンプに参加することになります
選手は球団の社員ではなく、あくまで個人事業主として球団と契約を結んでいます
そのため、契約の内容は個々の選手によって、様々である
球団が提示した契約内容に納得がいかなかった場合には、保留をすることができます
契約を調印したか、保留したかという内容は、マスコミを通じて公表することになっています
特に主力選手は、記者会見を行い、そこで年俸の金額についてのやり取りも行われます
マスコミが発表する年俸に「推定」がついている理由は、記者会見時の質疑応答の内容から推測した金額だからです
記者会見時のやりとり例
記者「1億円の大台は?」
選手「届いていないが、いい評価を頂いた」
記者「アップ幅は?」
選手「倍増に届かないくらいで、切りのいい数字です」
昨年の年俸が4,000万円だったとすると、推定7,500万円で発表される、というイメージです
この推定金額は大きく外れていることはないようです
選手の年俸は全試合における選手の働きをポイント化する、「査定」が行われる
打撃や投手成績はもちろん、出場試合数や四死球の数などが査定に入っているケースもある
選手は交渉の専門家ではないので、代理人を雇い、球団との交渉を一任する選手もいます
MLBでは一般的ですが、NPBでは古田敦也選手が1992年に初めて代理人交渉を希望したが、球団が認めませんでした
1999年の労使交渉で、代理人の同席が認められるようになり、2000年から代理人制度が運用されるようになりました
どうしても、球団と選手の折り合いがつかない場合は、年俸調停委員会に申し立てることができます
年俸調停委員会では、選手、球団、双方の意見を聞き、年俸を最終決定します。それでも選手が納得しなかった場合には、契約が成立せず、任意引退となります
任意引退となった選手は、他の球団と契約ができれば良いのですが、選手の保有権は球団にあるため、自由に他球団と契約することはできません
年俸調停までいった例は、過去40年間で7例だけです
プロ野球の契約更改の課題
プロ野球の契約更改には、ルールはあるが形骸化していることがいくつかあります
課題1.減額制限の形骸化
成績が悪かった場合には、契約更改で減額が提示されます
しかし、選手を守るために「減額制限」の最大値が規定されています
年俸1億円以上の選手は40%、年俸1億円未満の選手は25%の減額が最大であり、それ以上の額の減額はできないことになっています
しかし、毎年、減額制限を越える減俸で契約更改をしている選手がいます
これは、日本プロフェッショナル野球協約の規約の減額制限に「選手の同意があれば、減額制限を越えても違反にならない」という注釈があるからです
規約の減額以上の減俸は、選手が同意しなければ良いのですが、そもそも、それだけの減俸を提示されるということは、あまり活躍ができなかったということで、選手は強く意見が言えません
そういう背景があり、球団は減額制限を越えた減俸を、提示してくるようになったのです
課題2.代理人制度の形骸化
2000年から導入された代理人制度ですが、あまり利用している選手はいません
背景として、球団側が代理人を使いづらい雰囲気を作っているからです
選手が代理人を利用するためには、球団側の3つの条件に従う必要があります
代理人利用3つの条件
- 代理人は弁護士に限る
- 1人の代理人は複数選手と契約できない
- 初回の交渉時は、代理人だけでなく選手の同席が必要
しかし、日本にはまだ代理人交渉のノウハウを持った弁護士は少なく、条件に合った弁護士を見つけること自体が困難な状態です
また、助っ人外国人選手は弁護士資格を持たない代理人で契約の交渉をしている実態もあります
球団側からすると、交渉時にプロの代理人がくると不利になるため、選手会が改善を求めているにも関わらず、なかなか変更は進みません
なぜ、保留や越年する選手が減ったのか
近年は以前ほど、契約更改で保留や越年する選手が減ってきています
それには、理由があります
保留や越年する選手が減った理由は、契約更改の交渉の前に、電話などでした交渉が行われるようになったからです
球団にとって、選手と契約で揉めた姿が、契約更改後のメディアにうつるのはあまり良いことでありません
そこで、球団は選手に対して、事前に電話などでおおよその年俸の提示をしています
ある程度、そこで着地点を見出したうえで、査定内容の細かい内容を対面の契約更改の場で行なっているのです
契約更改の名言ランキング
昔は下交渉がなかったため、契約更改時に様々な事件や名言が生まれました
紹介していきます
1.西崎幸広選手
最も有名な契約更改といってもいい、1991年に起こった「セカンドバック投げ事件」です
日本ハムのエース、西崎選手は1991年、10勝6敗、防御率3.16という成績を残します
入団から5年連続の二桁勝利です
当時の年俸6000万円(推定)から、大幅アップを期待していたのですが、会見会場に現れると、持っていたセカンドバックを椅子に叩きつけ、怒りをあらわにしました
なんと、球団からは年俸ダウンの提示を受けたということです
「今年は一歩も引かない」という名言を残し、結果、年俸アップで契約をしています
2.武田一浩選手
次に紹介するのは、同じ日本ハムで同じ時期に活躍していた守護神の武田選手です
先ほどの西崎選手と同じ日の契約更改で、椅子に座るなり「ほんと頭くる!低すぎるよ!」と怒りを露わにします
「2年抑えやってあんだけしか上がんないんじゃ、もうリリーフなんかやる価値ない」という名言を残しています
当時はまだ、中継や抑えの評価が低い時代だったこともあり、提示された金額に納得がいかなかったようです
武田選手も最後は年俸アップで契約更改をしました
西崎選手と武田選手の騒動がきっかけとなって、球団イメージダウンを恐れて、「下交渉」が始まったと言われています
3.福留孝介選手
「誠意は言葉ではなく、金額」という名言を残したのは福留選手です
2006年に打率.315、31本塁打、104打点で、首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、リーグMVPという文句のない成績を残しました
2億5500万円から4億円へのアップを希望していましたが、提示された金額は4億円に及ばず、「誠意は言葉ではなく、金額」というコメントを残しました
結局、春季キャンプに突入しても交渉は続き、最後は福留が折れ、3億8500万円でサインをしました
しかし、正当に評価をしてもらいたい福留選手は、この年のオフにFA宣言をし、4年総額53億円でシカゴ・カブスに移籍をすることとなりました
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4.杉内俊哉選手
最後に紹介するのは、ソフトバンクや巨人で活躍した杉内選手です
2010年に16勝を挙げリーグ優勝に貢献した年の契約更改で、名言が生まれます
「球団から労を労う言葉もなかった。携帯会社と同じで、新規加入には優しく、既存の人はそのまま」
3億から5000万円アップの3億5000万円を保留しました
最終的にはオーナーが直接交渉するという、異例の対応で、3億5000万円で合意にいたりました
しかし、球団との信頼関係は崩れてしまい、翌年にはFA権を行使し、巨人に移籍をしています
まとめ
今回の記事は、プロ野球の契約更改について詳しく紹介しました
下交渉が進み、契約更改の場でドラマが生まれないのは寂しいですが
選手達が適正に評価されるようになってきたのは、嬉しいですね
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