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【1975年~現在】広島カープの歴代監督の成績・順位一覧。新井監督の手腕について解説!

広島カープ歴代監督

この記事で解決できる悩みや疑問

  • 広島カープ歴代監督の成績を知りたい
  • 新井監督の評価を知りたい

2023年から新井監督が広島カープの指揮を取っています

広島カープのリーグ優勝は2018年が最後です

その後、5年連続Bクラスが続いていましたが、2023年新井監督が就任すると、1年目でAクラス入りを果たしました

新井監督はどのような考えでチーム運営をしているのでしょうか

そこで、この記事では、過去の広島カープ歴代監督の成績と新井監督のチーム運営について解説します

この記事の内容

  • 広島カープ歴代監督の成績一覧
  • 新井監督のチーム運営

この記事を読むと、広島カープの歴代監督の成績がわかります

では、解説していきます

広島カープ歴代監督の成績一覧

広島の歴代監督と成績一覧です

監督成績順位
1975年古葉竹識72勝47敗11分優勝
1976年古葉竹識61勝58敗11分3位
1977年古葉竹識51勝67敗12分5位
1978年古葉竹識62勝50敗18分3位
1979年古葉竹識67勝50敗13分優勝・日本一
1980年古葉竹識73勝44敗13分優勝・日本一
1981年古葉竹識67勝54敗9分2位
1982年古葉竹識59勝58敗13分4位
1983年古葉竹識65勝55敗10分2位
1984年古葉竹識75勝45敗10分優勝・日本一
1985年古葉竹識68勝57敗5分2位
1986年阿南準郎73勝46敗11分優勝
1987年阿南準郎65勝55敗10分3位
1988年阿南準郎65勝62敗3分3位
1989年山本浩二73勝51敗6分2位
1990年山本浩二66勝64敗2分2位
1991年山本浩二74勝56敗2分優勝
1992年山本浩二66勝64敗0分4位
1993年山本浩二53勝77敗1分6位
1994年三村敏之66勝64敗3位
1995年三村敏之74勝56敗1分2位
1996年三村敏之71勝59敗0分3位
1997年三村敏之66勝69敗0分3位
1998年三村敏之60勝75敗0分5位
1999年達川光男57勝78敗0分5位
2000年達川光男65勝70敗1分5位
2001年山本浩二68勝65敗7分4位
2002年山本浩二64勝72敗4分5位
2003年山本浩二67勝71敗2分5位
2004年山本浩二60勝77敗1分5位
2005年山本浩二58勝84敗4分6位
2006年マーティ・ブラウン62勝79敗5分5位
2007年マーティ・ブラウン60勝82敗2分5位
2008年マーティ・ブラウン69勝70敗5分4位
2009年マーティ・ブラウン65勝75敗4分5位
2010年野村謙二郎58勝84敗2分5位
2011年野村謙二郎60勝76敗8分5位
2012年野村謙二郎61勝71敗12分4位
2013年野村謙二郎69勝72敗3分3位
2014年野村謙二郎74勝68敗2分3位
2015年緒方孝市69勝71敗3分4位
2016年緒方孝市89勝52敗2分優勝
2017年緒方孝市88勝51敗4分優勝
2018年緒方孝市82勝59敗2分優勝
2019年緒方孝市70勝70敗3分4位
2020年佐々岡真司52勝56敗12分5位
2021年佐々岡真司63勝68敗12分4位
2022年佐々岡真司66勝74敗3分5位
2023年新井貴浩74勝65敗4分2位

カープは今まで9回リーグ優勝をしています

最後に優勝したのは2018年で、セ・リーグ3連覇を成し遂げています

また、日本一になったのは1979年、1980年、1984年の3回です

それぞれの監督が、どのような監督だったのかを見ていきましょう

1975年~1985年:古葉竹識監督

1975年、シーズンスタート時はジョー・ルーツが監督を務めていましたが、4月になんと指揮権を放棄します

代わりに5月から就任したのが古葉監督です。39歳での監督就任でした

古葉野球の特徴は、足を使った攻めを多用し、相手のミスを突き、巧みに得点を奪うことです

11年の監督生活で4度のリーグ優勝・3度の日本一に輝いています

広島カープの歴代3回の日本一は、全て古葉監督時代のものということですね

カープの監督の歴史に残る、紛れもない名将です

1986年~1988年:阿南準郎監督

古葉監督の勇退に伴い、監督に就任したのが阿南監督です

当初は、山本浩二さんが監督に就任するまでの繋ぎ役と見られていました

しかし、前評判を覆し、就任1年目にリーグ優勝をしています

チームには外国人選手がおらず、投高打低のチームでしたが、勝つ野球を知っているメンバーを巧みに起用し、緻密な野球で合計3年間監督を務めました

3年間でBクラスは一度もなく、強いチームを作りました

1989年~1993年/2001年~2005年:山本浩二監督

「ミスター赤ヘル」として知られ、現役時代はカープのスター選手として活躍した山本浩二監督

カープ史上唯一、2期(2回)監督を務めています

1期目の就任3年目には、見事リーグ優勝を成し遂げました

その年、チーム防御率はリーグ1位の3.23で、「投手王国絶頂期」といわれるほど、投手力を強化したチームを作り上げました

佐々岡真司選手は最多勝と最優秀防御率、川口和久選手が最多奪三振、北別府学選手も最高勝率、大野豊選手は最優秀救援を獲得

当時の投手部門タイトルは広島の選手が独占していました

しかし、2期目はスター選手であった江藤智選手や金本知憲選手らがFAで移籍したこともあり、5年間で一度もAクラス入りをすることができませんでした

1994年~1998年:三村敏之監督

優勝はできませんでしたが、在籍5年で4度のAクラス入りを果たしました

スローガンは「トータルベースボール」

トータルベースボールとは、「トータルでチーム力が最大化される」ことを重視する考え方です

1995年、当時抑えだった大野選手を先発に、そして先発だった佐々岡選手を抑えに配置転換のは有名な話です

結果、大野選手は1997年最優秀防御率のタイトルを獲得、佐々岡選手も1996年に5日間連続セーブという新記録を達成しています

1996年、広島は圧倒的なチーム力で優勝一歩手前までいっていました

打撃では、緒方選手、金本選手を中心とした「ビッグレッドマシン」と呼ばれる超強力打線が活躍し、投手陣も紀藤選手、山内選手、佐々岡選手と優勝は間違いないと言われていました

しかし、7月の巨人戦での敗戦で風向きが逆転し、後にメークドラマと呼ばれる巨人の猛追を許し、3位でシーズンを終えてしまいます

1999年~2000年:達川光男監督

達川監督は、1998年に二軍監督を務め、1999年から一軍監督に昇格、2000年まで2年間監督を努めました

三村監督時代からの「ビッグレッドマシン」の打撃陣は健在でしたが、投手陣の崩壊が止められず、良い成績を残すことはできませんでした

チームの防御率は3年連続で、セ・リーグ最下位でした

ただ、達川監督の指導者としての手腕は、カープ監督を退任後に評価されます

達川監督はカープ監督を辞任後、阪神星野監督、中日谷繁監督、ソフトバンク工藤監督の下でバッテリーコーチやヘッドコーチを歴任し、阪神でリーグ優勝、ソフトバンクでは2年連続日本一に貢献しました

是非、将来もう一度、達川監督にカープの監督をやってほしいですね

2006年~2009年:マーティ・ブラウン監督

ブラウン監督といえば、一塁ベースぶん投げ事件が有名です

一塁ベースぶん投げ事件

2006年、中日荒木選手のショートゴロはダブルプレイに思えたが、セカンドは際どいタイミングでセーフの判定に
広島先発マイク・ロマノ投手が、不服として審判に暴言を吐き、退場処分になると、納得いかないブラウン監督も猛抗議をします
判定が覆らなかったため、ブラウン監督は一塁ベースを引っこ抜き内野に投げつけました

ブラウン監督は侮辱行為で即退場となりました

「選手を守るためなら退場もOK」と話をするブラウン監督

劇場型の監督というイメージが根付いていますが、実は退場後も冷静に試合を見続けており、行動のすべては「チームが勝つため・選手の士気を上げるため」のものだったようです

4年間の在籍で8度の退場をしましたが、一度もAクラス入りはなりませんでした

2010年~2014年:野村謙二郎監督

Aクラスから遠ざかっていた2010年、野村謙二郎監督はチーム再建を託されました

野村監督は「育成をしながら結果を出さなければならない」というチーム方針の元、2012年に劇的な世代交代を行いました

丸佳浩選手や堂林翔太選手、菊池涼介選手が中堅選手とレギュラー争い繰り広げ、若手選手が台頭するようになりました

投手では、当時ルーキーだった大瀬良大地選手や九里亜連選手も開幕ローテ入りしています

就任から3年間はBクラスが続いていましたが、就任4年目と5年目はリーグ3位

菊池選手や丸選手を3割打者に育て上げ、実力を開花させました

2016年の25年ぶり優勝の礎を築いたのは、野村監督といっても過言ではないでしょう

2015年~2019年:緒方孝市監督

緒方監督がチームを率いたのは5年間です

日本一に輝くことは出来ませんでしたが、球団史上初のリーグ3連覇という偉業を成し遂げました

黒田博樹選手や新井貴浩選手が、他球団からカープに復帰してくれたのも緒方監督の説得によるものです

また、田中選手、菊池選手、丸選手のタナキクマルや鈴木誠也選手の打線も強力でした

田中選手については、こちらの記事でも紹介しています

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緒方監督は、就任時に『投手力を含めた守りの野球、攻撃では機動力を全面に出し、接戦で勝ちきれるようしたい』と言っていましたが、まさにそれを体現したチーム作りをしました

2020年~2022年:佐々岡真司監督

コロナ禍に監督を務めたのは佐々岡監督です

投手出身の監督は53年ぶりのことでした

森下暢仁選手の獲得や栗林良吏選手をルーキーながらクローザーに抜擢するなど、佐々岡監督が残した功績はとても大きなものとなりました

しかし、結果は伴わず、3年連続Bクラス

佐々岡監督は、赤ヘル一筋の野球人生で、カープファンからとても愛されてた監督でした

現在は中国放送の野球解説者を務めています

2023年~:新井貴浩監督

佐々岡監督の後を継いだのは新井監督です

選手を引退してから4年後に、監督としてカープに戻ってきました

コーチの経験がないままの監督就任となり、多くの人を驚かせました

しかし、監督就任1年目で阪神に次ぐ2位でAクラスに返り咲く、見事な結果を残しています

5年スパンを視野に単年契約を結ぶというコメントを残しており、まだまだ新井政権は続きそうです

新井監督のチーム運営

新井監督の広島就任に対して、世間の評価は決して高くありませんでした

よく言われていたのは、「コーチ経験が全くない新井監督にチームの再建ができるのか」ということです

さらに、4年連続Bクラスの広島は、新井監督就任時に大きな補強をしませんでした

その結果、ほとんどの野球評論家はBクラスを予想します

しかし、新井監督はシーズン開幕時、選手やスタッフに「優勝しか狙っていない、CSに入って・・・なんて思っていない」と強く宣言します

結果は、リーグ2位のAクラスです

2023年の新井野球でまず大きく変わったのは「盗塁をはじめとする機動力」です

2023年、広島のチーム盗塁数は78を記録し、2022年の26から3倍に増えました

チーム打率はリーグ4位ながら、機動力を活かした戦い方で首位争いをしました

また、もう一つ躍進の要因が「新井監督のコミュニケーション力の高さ」と言われています

広島OBの野村謙二郎さんは、新井のコミュニケーション力について、「新井監督は人を乗せるのがとても上手い」と評しています

新井監督は就任以降、コーチ陣に1つの方針を通達しています

それは「ミスした選手を怒るな」ということです

「どうしても伝える必要があるならば、全部俺に報告して。選手には俺から言う」と要請しています

ミスした選手への伝え方に配慮するなど、コミュニケーションを非常に重視していることが伺えます

新井監督は、選手やファンもひっくるめて全員で戦うことを、「家族野球」と称しています

新井監督のチーム運営によって、ベンチの雰囲気が良いのは画面越しにも伝わってきます

これからも新井監督がどんな采配を見せてくれのか、楽しみでなりません

まとめ

今回の記事では、広島カープの歴代監督の成績を紹介を紹介しました

最後にポイントをまとめます

ポイント

  • 広島が日本一になったのは古葉竹識監督の3回のみ

  • 緒方孝市監督はセ・リーグを3連覇したが、日本一は達成できなかった

  • コーチ経験のない新井監督は、下馬票を覆し、コミュニケーション力と機動力で就任1年目からリーグ2位になった

今年の広島の結果が楽しみですね!!

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  • この記事を書いた人

ほくと

小学生から野球を始め、野球歴30年、阪神タイガースファン歴も30年。大学時代は4年間バッティングセンター勤務。草野球チーム運営歴は20年になります。野球はやるのも観るのも大好き。野球を「やる人」も「観る人」も、今よりもっと野球を楽しめるようになる情報を発信していきます。野球グッツのレビュー依頼や質問は、お気軽にお問い合わせフォームまでどうぞ。詳しいプロフィールはこちら